校長だよりNo19

本に書いてある『教育とは時間のかかるものだ』の言葉が響きます。大人がしてしまえば簡単に済むことを私たち教師はあえて子供の手に委ねることがあります。時間がかかろうが,手がかかろうが,自らの手によって成し得たことの方に大きな実りがあることを知っているからです。

 *ある教育書の一節です。

『(前略)3年生を担任している。初めての子供たちだ。先日第1回の学級会があった。「雨の日に持ってきてもいい遊び道具」が議題だった。トランプ,将棋,ゲーム,マンガ・・・・・。いろいろな意見が出た。私は教室の隅にある席でそれを聞いていた。採点をしながらである。

教育とは時間のかかるものだ。子供たちの混乱,戸惑いをじっと待つ時間も必要となる。3年生の子供たちが「雨の日に持ってきてもいいもの」の候補を並べるだけで1時間近くが過ぎ去った。時間が足りない。誰かが言った。「先生に決めてもらおう」2人を除き大部分が賛成した。反対した2人の子は,いつも少数派の子だった。私は何度も念を押した。「本当に先生が決めてもいいのですね。後悔しませんね。」子供たちは「それでいい」とのことだった。

私はゆっくりと言った。「全部ダメです。」

「これが先生の意見です。後悔しないと言ったのですから後悔しないでください。」教室はシーンとなった。

次の週,再びこれが議題に取り上げられた。「先生が決めましょうか」と聞くと「ダメです。自分たちで決めます」との大合唱であった。このように一つ一つ自立させていくのも教育なのである。』

*本に書いてある『教育とは時間のかかるものだ』の言葉が響きます。大人がしてしまえば簡単に済むことを私たち教師はあえて子供の手に委ねることがあります。時間がかかろうが,手がかかろうが,自らの手によって成し得たことの方に大きな実りがあることを知っているからです。

*さて親としての自分はどうだったのだろうか,娘2人がいるが「時間がかかる価値ある道」を選んでいただろうか。子供ができることを取り上げたり,代わってやってしまったり・・・。校長などと偉そうにしても,家庭の父親としては,どうにも,こうにもお恥ずかしい限りです。