学校雑風景
*先月引率した修学旅行の集合写真を手にしました。何かとても昔のような気がしているのは教師だけでしょうか。それでも写真の中の子供たちの笑顔を見ると楽しかったあの3日間がよみがえってきます。
*さて,大人であれ子どもであれ,集合写真を手にした時に真っ先にさがすのはおそらく自分自身でしょう。
友達でもなく,好きな人(?)でもなく,世の中で一番気になる存在はやはり自分自身なんだとあらためて思います。
写真に写ったあなたは,いい顔をしていましたか?
その時を十分に楽しんでいる様子でしたか?
*『友達の頭を使って学習する』
ことを授業中よく話してきました。ですから授業中にはよく次のような指示を出したものです。
・隣の人と答えを比べてみなさい。
・クラスの中で自分と同じ考え方をしている人を3人見つけなさい。
・友達の発表を聞いて自分の考えと同じだと思ったらノートに小さく○を,違うと思ったら×をつけなさい。
これらは「友達がいるからこその学習を」としてちょっとした作業を取り入れるようにしたものです。
*正解,不正解を問わず友達の考え方をいろいろ知ることが出来るのが学校で学ぶ良いところです。
特に算数は問題を解く場合に正解は一つですが,そこに行き着く考え方は何通りもあるので,グループで話し合わせたり,あえて間違いを全体で考えさせたりしたものです。
*担任をしているときには,かなりノート指導には力を入れてきました。その一つとして『間違いは宝なので消さないように』という指示もよくしました。しかし,これは定着するまでに随分と時間を要しました。
多くの子が間違いを「失敗」ととらえ,「失敗をノートに残すなんて・・・・。」という抵抗があったからでしょう。
*先日,職員の打ち合わせの中で,各学年に3つのお願いをしました。
①「クロームブック」の家庭での活用を進めていただきたいこと。
②「ノート指導」の在り方を学年で確認し,指導してほしいこと。
③学年全体で集まる機会を月に何回かは設定すること。
学年による発達段階の違いはあるので,一概には言えませんが,「ノート指導」の在り方などは,学年足並みを揃えて子供たちの成長を担うものであってほしいと思います。
さりげないことですが
*長年教師をやっているのでたくさんの教え子が出来ます。毎年のように増えていきます。
大きくなった教え子もいます。教師という同じ職に就いている子もいます。研究会などであって声をかけられるとかつての拙い仕事を見透かされているようで照れくさい気さえします。
*多くの教え子を見ていて思うことがあります。
それは小学校時代に「勉強が出来るか,どうか」ということは,その子の将来にとっては,ほとんどどうでもいいということです。
幸福になったか,不幸になったかという点から考えれば,これは「全く関係ない」と言えるでしょう。
仮に勉強が出来て(いわゆる)良い学校(!)へ行った子の良さを一ついうならば,それは職業選択の幅が広いということと多くの人と巡り会えるチャンスが多いかもしれないということでしょうか。
でも,これさえ人によります。
*自分に向いた道があり仕事があるなら,勉強が出来たかどうかはほとんどどうでもいいということです。
テストで100点を取ろうが取るまいが大した問題ではないということです。
しかし,「100点を取れる努力をした」ということはほめられていいでしょう。例えば,漢字などは練習した子は出来るし,練習しない子は出来ないものです。そして,多くの教師がおそらく「練習した子」つまり「努力した子」を「努力しない子」よりいくぶん高く評価することでしょう。
それは「努力する」ということは,どこでも通用する力だからです。他のことにもきっと努力をするだろうと思えるからです。
ただ,「いくぶん高く」とあるのは,人間というのはこんな程度のことで云々出来るほど単純ではないからです。人間とはもっと幅広く,奥深い生き物のはずです。
*しかし,子どもと接していて学業の成績を抜きにして「すごい!!」と思える場面に出合うことが時にあります。高く評価することがあります。
担任をしていた時の話です。
理科のテストをしました。テストが終わった子からテストを提出するよう指示しました。子どもたちは比較的スラスラと解いていたようでした。一人の子が提出をすると次から次へとテストを終えた子が答案を提出していました。
ある子がテストを出しに来た時,その子は乱雑に積み重ねられた答案をきれいにまとめてから自分の席に戻っていきました。
さりげない動作でした。
*100点を続けて10回とってもすごいとは思いませんが,テストを出しに来たその慌ただしさの中で乱雑に積み上げられたテストを両手でトントンと整理していったその子の行為はすごいと思いました。
自分の子供も同じことができるといいなぁと思いました。
判断基準
*外国によっては「自分が信じる神の教え」を自分の行動の判断基準にしている所があります。
こんな話があります。ある大きな商談をまとめようと外国の営業マンと話していた時のことです。
商談の中で外国の営業マンが切り出します。
「ところで,あなたは何の神を信じているのですか。」
日本人の営業マンは笑顔で答えます。
「私は,神など信じていません。信仰している宗教もありませんよ。」と。
それを聞くととたんに相手の顔が曇り,まとまりかけていた商談はご破算となったそうです。
*「『信じるものが無い』などという相手は信用がおけない,取引など出来ない」というのがその理由だったそうです。これは極端な例でしょうが,日本人の多くはそうした神を心に持ちあわせていないような気がします。
*さて,「神」はなくてもいつも心の真ん中にあるもの,いつも自分自身を見ていてくれるもの,自分自身を励まし,時に律してくれるもの,行動の価値判断の基準になるもの,それが「自律の心」であるような気がしてなりません。
*「こんなことをすると担任の先生に怒られるからやらない」というのは残念ながら私たち双葉東小の職員が目指す教育ではありません。
私たちは大人の顔色をうかがって行動するような子どもたちを育てたいわけではありません。
大げさにいうと中学生になっても,高校生になっても,そして大人になっても通用していく力の礎を育てたいのです。
*そうした心持ちを「つくる」のではなく「育てる」のです。
もともとその子の中にあったものを伸ばすお手伝いをするだけですから「つくる」のではなく「育てる」というのが正しい表現だと思っています。
迷うようなことがあったときにいつでも正しい判断が出来るような「自律」の心を育てたいのです。
「これはしてもいいのか」と自分に問いかけたときに正しい答えが導き出せるような「自律」の心を育てたいものです。
*先日職員の打合せの中で,5月とはいえ,暑い日もあるので「外遊びをするときには帽子をかぶることを徹底させましょう」ということが話題になりました。
熱中症対策として「活動前に水分を補給する,帽子をかぶる」は必須です。
子供たちも帽子をかぶる必要性は十分理解しているのですが,679人もいると,中には・・・。
*また,先日は地域の方から「遊んでいた子がゴミを散らかして困る」との連絡を受けました。一度各クラスでこのことは指導しましたが,今回は二度目。どうやら同じ場所で同じことが起きています。
*「校庭で遊ぶときは、帽子をかぶるのですよ。」「ゴミは自分で持ち帰るのですよ。」
こうした指導はどのクラスでもします。
担任の先生方にお願いしたのは,素直に教師の指導を聞き入れる子どもの育成も大切だけれど,その時,周りにいた子が「その子に声をかける,そしてその子がそれを受け入れる関係」を学級の中で醸成してほしいということです。
学級集団だからこそ,学校という集団だからこそ「自律」を支え合える仲間であってほしいと思います。
理想の指導者
*随分前の新聞記事です。
『理想の指導者とは,どうあるべきか,組織はどうあるべきか』
を考えるときに,北海道の中学教師がまとめたこの話は,いつまでも色あせない内容として私の心に残っています。
*学校の在り方が問われ,保護者の方から,教師への要求やクレームが増えた頃,その先生は考えました。
「こんなに一生懸命仕事をしているのに,なぜこんなに責められるのだろうか。」
そこで,世間が求める理想の教師・指導者とは何であるのかを調べたというのです。
はじめに手がけたのは,逆の発想なのですが「教師に対する批判内容」をとにかく調べるということでした。
批判内容として相反するものを探ることで、理想の指導者にとって大切なものが何であるのかのヒントが得られるのでは,と考えたわけです。
そこでインターネットで『教師』『不祥事』といったキーワードを検索,大量にヒットした内容を丁寧に分析したといいます。
*その先生は,調べたことをまとめ,理想の指導者像をピラミッドに表しました。
ピラミッドは大きく3段になっていますが,一番下の段,つまり,ピラミッドの土台として描かれたのは『生活力・モラル』でした。なるほどです。
*3段あるピラミッドの中段は左右に分かれています。
右が『事務力』,左が『指導力』
事務力は「教務力・研究力・緻密性」から成り立ちます。
私が苦手な部分です。
指導力は「父性型・母性型・友人型」から成り立ちます。これはタイプが分かれるところでしょう。
それぞれ詳しく説明すると
「父性型は,規範を率先して実行できる力」
「母性型は,優しく包み込む力」
「友人型は,子供と対等につきあえる力」だそうです。
*そしてピラミッドのトップに位置するのが『創造性・先見性』です。
*さて,指導力の父性型・母性型・友人型を考えたときに、私自身は父性型だと思っています。
子供に癒しを与えるA先生は母性型だろうし,子供とフランクにつきあえるB先生は紛れもなく友人型であると言えます。お子さんの担任は何タイプでしょうかね。
*本題に戻します。
実は,作者である先生は,これらの分析結果を見て唖然としてしまいます。
規範を率先して実行する父性型,優しく包み込む母性型,子供と対等につきあえる友人型であり,かつ教務力・研究力・緻密性に長けている人物・・・・・・・・・。
こうした世間の要求に1人で応えられる指導者(教師)などあり得ないからです。
理想の教師を求めながら、理想の教師たることは不可能だと気付かされるのです。
*作者である先生は御自身のことを
「声が大きく,明るい性格である自分自身は,父性型と友人型の指導力があって,事務力にやや不安がある」と分析しています。そこで,すべてを独力に頼らず,「母性型の指導力を持つ教師に、精神面の弱い子供の指導の援助を頼んだり,事務力の高い教師には,書類の点検作業を任せたり,分業・協働を図った。」というのです。
*学校も会社も『組織で対応する』と言います。
これは,一人一人が万能であることをめざすのではなく,得意不得意,向き不向きを最大限に生かすことに他ならないわけです。
多様な人材でチームをつくる,互いの弱点を補完しつつ子供の育成に努める。
『これは任せて,でもこれはお願い。』
『苦手なことで助けられたら、得意なことで返せば良い。』
と言ったことができる組織でありたいと思います。
*理想の組織とは,「職場で【お互い様】を築ける組織」のことであるような気がしてなりません。
「持ちつ持たれつ」子供の世界もこれと同じで,【お互い様】が大切にされる友達関係であったり,クラス環境であったりして欲しいと思います。
学校雑風景(No6)
*小学校の時,授業が休み時間に食い込む担任の先生がいました。
誠実で優しい先生であったのですが,その部分はあまり好きではありませんでした。
*休み時間は,子どもにとっても教師にとっても気持ちをリフレッシュする潤滑油のように思えます。私も担任時代はよく外で遊んだものでした。(遊んでもらっていました)
休み時間終了のチャイムは鳴りますが,子ども達には,自分で判断して時間を守るようお願いしました。 あわせて,教師には,授業時間を守るようお願いしました。
時間になったら特別なことがない限り授業はぴたっと終わりたいものです。
教師が時間を守ってこそ「君たちも時間を守って授業が始められるようにしてください。」と自信を持って指導できるのだと思います。
*中休み終わりの10:35,昼休み終わりの13:20。
休み時間始まりの校庭に出てくる時ほどの勢いはありませんが,教室に引き返す時,潔く駆け足(!)で戻る姿は良いものです。
*先日,ある子がA教諭に対して同等の言葉遣い(子ども風にいうと「タメ口」)をしていたので注意をしました。
優しいA教諭のことですからさして気にもとめない様子で受け流してくれていたようですが,端から見ているとあまりいいものではありませんでした。
校長には,いつも敬語をきちんと使っている子です。
悪い意味でその場その場で(相手によって)使い分けているような気がしました。
これは「教師だから敬意を払え」というものではありません。
その子が将来,人と上手く関わっている術を大人の一人である職員をモデルとして学んで欲しいという思いからです。
「親しき仲にも礼儀有り」教師も「タメ口」が親しみの表現と勘違いしてはいけないとお願いをしています。
過去と他人は変えられないが,
未来と自分は変えられる(No5)
*ある先生から教えていただいた言葉ですが,とても好きな言葉です。
物事を前向きに,積極的に見ていこうという想いが伝わってきます。
自分の過去がどうであったかとか,
現在の自分がどうであるのかということではなく,
「自分がどんな人間になろうとしているか」という未来に向けた考え方こそが大切であるというのです。
*こうした想いはもちろん我が校の子供達にも持ち続けて欲しいと思っています。
彼らにも,今までの自分をより高めていけるような人になって欲しいと思います。
それは自分を変えていけるのは自分だけしかないからです。
ですから「出来そうもない」とか「性格だからしょうがない」とか「自分には無理だ」とかいうマイナス思考から発生する想いだけは持って欲しくありません。
殻を破る
*「他人や過去」は変えることはできません。変えることができるのは,「自分と未来」です。
「こうなれたらいいなあ」という想いを描き続けていくことが大切です。
大きなことはできなくていいのです。
でも時には,「恥ずかしさ」や「自信のなさを」を乗り越えて,今までの自分の殻を破る時が無くてはなりません。
そのためには,自分自身を成長させる様な場に自らを立たせることが必要になってきます。
例えば,クラスの大切な仕事を引き受けたりクラスの代表などに進んで立候補したりという経験を積んでいくことがそうです。
*4月19日に,任命式を行いました。
3年生以上の各クラス代表に選ばれた子に任命書を渡すセレモニーです。
クラス代表に至るには「立候補」もあったでしょう。「推薦」もあったことでしょう。
*さて,次にあるのは,12年前にこの学校で6年生を担任していたときの一コマです。
<当時の学級通信となります>
5年生までと違い,6年生になると児童会の活動にもこれ以上に積極的に関わっていきます。
委員会やたてわり活動で中心的な役割を担うのはもちろんのこと,「1年生を迎える会」「縦割り活動」「運動会」など6年生が中心となって運営をしていくことになります。
また,クラス代表(代表委員)が集まった話し合いの場「代表委員会」にも出席します。
*さて,この代表委員会に出席する代表委員(クラス3名)の仕事について説明をした後,「やってみたい人」を募りました。希望を確認する前に,次のような話をしました。
「やってみよう」と考えている人はもちろん「出来るかな?」と迷っている人も立候補してみなさい。
先生が責任を持って必ず助けてあげます。
しかし,代表委員会は休み時間に行われるので「遊びの時間がとられるのはイヤだ」と思う人は絶対に立候補しないでください。そういう人は,先生がいくら頑張ってもうまくはいかないからです。
*学級委員長・副委員長・書記などに多くの子が立候補を表明しました。
その役職に就くことの出来なかった子の方が圧倒的に多いのですが,自らを成長させる場に立たせようと一歩を踏み出したこれら全ての子に拍手をおくりたいと思います。
*当時,学級のすべての代表を私はじゃんけんで決めていました。
「やる気」さえあれば,教師がそれを支えるのは使命だと感じていたし,
子供の選挙だといつも代表が絞られてしまうからと考えていたからです。
教職1年目からこのことは貫いてきましたが,時には「子供の選挙の在り方」についてベテランの先生と論争したこともありました。
今では良い思い出です。
謙虚さ(No4)
『私を含めて教師は,自分の教育的熱心さを省みる謙虚さに欠けている。熱心さは免罪符にならないのである。「愛のムチなら何でもいい」と自分で自分におぼれているのである。問題なのは熱心さではない。教育を仕事にしている人間が,子供に熱心であるのは当たり前である。プロならば,言うのも書くのも恥ずかしいぐらい当たり前のことである。 (中略) 問題なのは,子供にとって価値ある熱心さであったかどうかである。』
(向山洋一著 「教育格言集 ~プロ教師への努力の源泉~」)
*教職というこの仕事に対して,いつも謙虚でありたいと思っています。
上手くいかなかった時,子供が思うようにならなかった時,それは自分の仕事に甘さがあったと思える教師でありたい考えたい,いや考えられる教師であり続けたいと考えています。
*以前学級担任をしていた時に,帰りの会で子供たちとある約束していたことがありました。
それは,「帰りの会の時に,雨が降っていたらいつもの帰りの会のプログラムはやめて,恐い話を教師がする」というものでした。
一人残らずとは言いませんが子供たちは恐い話が大好きです。
担任のつたない話ではありますが,当時雨の日を楽しみにする子供も少なくはありませんでした。
*当時の話を続けます。6校時が終わり,帰りの会。
窓の外で雨が降っていることが分かると,さあ子供たちはせわしく動きます。
各自が帰りの支度をサッと済ませます。
ある子は,黙っていても教室の暗幕を閉めます。
ある子は,頼んでもいないのに教室の電気を消します。
これを自主性と呼べるかどうかは分かりませんが(笑),こんな子供の積極的な動き,結構好きでした。
*授業中,よそ見していたり,手いたずらしていたり,こんな子をよく注意してきました。
時には,かなりきつく注意したこともありました。
でもそれって考えようによっては,「教師の話に魅力がないから」ではないかとこの雨の日の帰りの会を思うにつけ感じるようになりました。
子供たちがよそ見をしたり,手いたずらをしたりするのは,教師側に問題があるのでは,と思うようになりました。
もちろん,単に子供のお行儀の悪さ(?)もあるかもしれませんが,まずは自分の仕事を疑ってみるという姿勢は大切だと感じています。
私たちは,年齢を重ねても常に伸びしろのある仕事に就いている(まだまだがんばれる余地がある),そう思いたいものです。
*さあ,新年度がスタートしておよそ3週間,本格的に学習に取り組んでいます。
学年始めの【張り切る気持ち】を子供も教師も大切にしたいものです。
子供の65%(No3)
*2018年のコンサルティングとテクノロジーで世界を牽引するIBMの報告書では,「子供の65%は将来,今存在しない仕事に就く」と発表しています。この数字の裏付けや立証がどのようにされているのかは分かりませんが,少なくても,現在小学生の子供たちが,将来未知の職業に就く可能性は高いのだと思います。
*職業と言えば,最近「教員の世界も人手不足」といった趣旨の報道を職業がら良く耳にします。就業する絶対的な人口数の関係もあるのでしょうが,実のところ,もっと根が深い問題があるような気がします。
*あまり良い例えではありませんが,普段あまり人気の無い店が「閉店セール」などといって安売りセールなど実施しても集客は見込めないのだと思います。そこには,客にとってどこかワクワクするような感覚が生じないからです。
*ですから教員を増やすには,単に採用する条件を簡易にするとか,待遇面を改善するということではダメなような気がします。
子供たちから見て
「先生ってすごいんだなぁ」とか
「先生の仕事って楽しそうだなぁ」
と思えるような魅力が伝わらなければダメなのだと思います。
プロである教師が子供の前で難しい顔や疲れた顔だけを見せていてはどうにもならないというわけです。
プロであるため毎日が修行です。
心が動いたこと(No2)
タイトル:「学校が始まって」
分散登校のときは,教室が広く感じたけれど,
今日初めて35人が集まると
せまく感じて
でも,それがとてもうれしかったです。
いつもは,
「授業あと何分かな」と思っていたけれど
今日は,
「まだ,授業続いてほしいな」
と思っていました。
明日も学校に行くのが楽しみです。
*令和2年の春,甲斐市内すべての小学校で分散登校が行われていた時がありました。
このミニ作文は,分散登校が終わり,ようやく通常の登校になったときに5年生の女の子が書き記したものです。
*書き手は,学校で一番,人数の多い学級に所属していました。
臨時休業や分散登校よりも「やっぱり学校」という素直な気持ちに救われます。
同時に,「やっぱり学校」に私達教師は応えていかなくてはなりません。
*話は,始業式に戻りますが,校長から2年生以上の子供たちに宿題を出しました。
宿題は,こうです。
「家に帰ったら,お家の人がきっと,今度の担任の先生は誰?と聞くはずです。その時に担任の名前を伝えるだけではなくて担任の素晴らしいところをひとつ探しておいて伝えてください。」というものです。
さてさて,宿題の出来映えはどうだったでしょうか。
*今年一年,どの子にとっても「今日が楽しく,明日が待たれる学校」でありますように。
願わずにはいられません。
始動しています(R5年度 No1)
*令和5年度がスタートしました。
子供たちはまだ春休みという時間のなかでしっかりと充電に努めていることだと思います。
(まさか,放電しっぱなしではないでしょうね)
ここまで大きな事故や病気といった連絡もなく,保護者の皆様にはあらためて感謝申し上げます。
*令和4年度末に17名の職員が双葉東小から退職・転任を致しましたが,今週は,新たなメンバーを迎え入れ子供たちと良いスタートを切れるようにと学校は,4月3日から始動しています。
*4月3日・4日・5日は会議詰めでした。
学校というところは「例年通りに踏襲」ということも少なくありませんが,やはり教育は創造的な営みであるので,その一年の方向性を決める年度当初の会議には十分な時間をかけておこないます。
*4月5日の午後には,翌日行なわれる「入学式」の準備を職員で行いました。
分担された場所の掃除をしたり,教室の飾り付けをしたり・・・・。
新しく赴任してきた職員は「あれ,掃除用具はどこだろう」と始めは戸惑うことも多かっただろうと思われますが,もう立派な双葉東小チームの一人として活躍してくれました。
116名の新入生をあたたかく迎え入れる準備はしっかり整いました。
*こうした準備や会議を終えた後も,職員は自分の担当している業務や担任する子供たちのための準備を遅くまで行っています。
個人差があるかもしれませんが,私自身は,この年度当初が一番忙しく,一番大変だと思っています。その上,心のどこかで「やり甲斐のある時間を過ごしさせてもらっている」と達観できない自分がいます。
まだまだ修行不足と言ったところでしょうか。
*一方,職員はというと・・・今週は月曜日始まりなので,結構疲れもたまるのではと校長は心配をし「少し,ブレーキを踏んでみては・・・」とも思ったのですが,バイタリティあふれる仕事ぶりにあらためて感謝するばかりです。
きっと120%のパワーと心持ちで、子供たちとの新しい出逢いを創りだしてくれることだと思います。
新入生にとっては明日が,
在校生にとっては明後日が,
佳き日となりますように。
1年間ありがとうございました。(No50)
*令和4年度が終わります。
コロナ禍のもと特別な一年でありましたが,この間,双葉東小の保護者の皆様には本校の学校教育活動に御理解御支援をいただきまして誠にありがとうございました。
限られた時間,制約が多い中での日々となりましたが,大過なくすごせたことに学校を代表して深く感謝いたします。
*子供たちの頑張りは,終了式に手渡す「あゆみ」を御覧になってください。
ただ,評定や所見だけでは到底そのすべてを伝えきれるものではありませんが,大きな成長を遂げた一年になったはずです。「あゆみ」はその使用方法(!)によっては,毒にも薬にもなります。
どうか,「やれば伸びる」というお子さんの素晴らしいところを確かめる材料の一つとして受け止めてください。
努力は定期預金。忘れた頃に利息が付いて返ってくる。
怠慢はクレジットカード。忘れた頃にツケが回ってくる。
*スポーツの世界では、ある時突然記録が伸びることがあるそうです。
でもその原因はよく分からないと言われています。
おそらく、何ヶ月間にわたって努力してきた結果が、忘れた頃に出るのではないでしょうか。
しかし,すぐに、成果に結びつかないから大変なのです。サボってもすぐに記録は落ちません。忘れた頃に、ツケが回ってきます。
サボった結果がすぐ翌日に出るのであれば、気持ちも引き締めることでしょう。すぐには、サボった結果が出ないので、つい気持ちが緩んでしまう。だからこわいのです。
*さあ,春休みに入ります。先の先を見据えて4月からお互い良いスタートが切れますように。
良い時間が過ごせますように。
努力の定期預金が貯まりますように・・・・。
準備のとき(No49)
3月15日(水) 卒業セレモニーを行いました。
この会の目的は3つです。
①卒業式に参加できない下級生の代表(5年)と6年生,職員で厳粛な中でセレモニーを行う。
②6年生にとっては,卒業式本番に向けて気持ちを高められるような時間とする。
③5年生にとっては,未来の自分たちの姿を想像するとともに,6年生に向けて気持ちを伝える時間とする。
*セレモニーは,卒業式とほぼ同じ内容で進行しました。
校長の式辞もありましたので,次のような話をしました。
卒業シーズンを迎える度に,私はある話を思い出します。
野球をよく知らない人でも「イチロー選手」のことは知っているのではないでしょうか。
かつて,テレビのインタビューでリポーターがイチロー選手に対して
「どうしてこんな素晴らしいパフォーマンスが残せるのですか」
と質問したことがありました。
私は,きっと
「バットスイングのスピードが大切なんです」とか
「良い球と悪い球を見極める力が必要なんです」などと答えるのだろうと思っていました。
しかし,イチロー選手の答えは至って簡単なものでした。
イチロー選手の答えは「一番大切なことは『準備です』 」というものでした。
*卒業式は1つの大きな節目ですが,それはすでに次への準備の始まりなのだと感じずにはいられません。
6年生,そして6年生0学期を過ごしている5年生のみなさん,
みなさんは次へのステップに向かってどんな準備を進めるのでしょう。
もちろん,それは,一人ひとり違っていると思いますが,自分が幸せになるための準備を進めると言うことは皆同じでしょう。
今日この時から,良い準備が進められることを祈っています。
*セレモニーは,5年生,6年生それぞれからのサプライズも有り,心温まる時間となりました。
子供の人間関係回復力(No48)
心の温かさ,というものを見失わないようにしてゆけば,
大きく判断を誤ることは少ないと思う。
誰にしろ,人を憎んだり,
痛めつけようとそそのかすものの言うことは警戒した方がいい。
<佐藤忠男 「大人になるということ」>
*人を見下して,自分中心にふるまうことを傲慢といいます。残念なことに人間は知らず知らずのうちに傲慢な態度をとってしまうことがあるようです。自分では,自分自身はかわいい存在であるので仕方のないことかもしれません。でも,傲慢というのは美しい姿ではありません。
*私自身も含め,他人の悪口を言ったか,言わなかったか,こうしたことを時々点検することが必要かもれません。楽しいはずの小学校生活の中で,ましてや教室の中で,小さな胸を痛めている子がいるかもしれないからです。
*高学年を担任しているころ,授業でよくアンケートをとっていました。設問はたったの2つです。
(1)自分がこれまで友達にされていやだなぁと思ったこと
(2)友達に対して「悪かったなぁ」「意地悪しちゃったなぁ」と思えること
これらを思いつくだけたくさん書かかせたのですが,スラスラと鉛筆が進む子もいれば,配られた紙としばらくにらめっこを続ける子がいたことを思い出します。
*授業では「(1)で書かれた数と(2)で書かれた数,多い方はどちらだと思いますか」と聞いています。クラスの5~6人が「(1)と(2)の数は同じ」と考え,別の5~6人は「(1)の方が多い」と考え,残りの15人ほどは「(2)の方が多い」と予想しました。
*高学年のクラスを持つと時折こうした点検(!)とも言えるアンケートをとることがよくありました。物理的には(1)と(2)の数は一致するはずですが,実際にはそうならないことが経験上多く見られます。お家の方はどちらの数が多いと思いますか?
*私が担任したクラスでは(2)より(1)の方が多く書かれます。
そして,毎回その差は圧倒的です。
この結果から分かるのは「嫌なことをされた記憶は,強く残るんだなぁ」ということです。
*子供とはいえ(いや,子供だからこそ?)小さなトラブルはつきものです。
担任には子供同士のトラブルに上手に介入してもらいたいと思っています。
学校でいざこざがあっとしても最終的には,「ゴメンね」「いいよ」といえる,『おたがいさま』の関係にもどれることが麗しいと思っています。
そして,友達にたいして「悪かったなぁ」「意地悪しちゃったなぁ」ということについては,
『過去と他人は変えられないが,未来と自分は変えられる』
の言葉のように,これから先どうするのか,どうしたいのか,どうするのがよいと思うのか,自分自身の魂を磨く機会にさせたいと思います。
*ところで,子供の人間関係回復力(!)は,大人とはくらべられないくらいすごいものです。
さっきまで悪口の応酬だった2人が,帰る頃には肩を並べて歩く姿を目にすることも少なく有りません。
どうぞ,子供同士のトラブルについては,まずは学校に任せてもらえると有り難いです。
3月になりました(No47)
*季節も文字通り春が感じられる気候となりました。
学校は,いよいよ一年の締めくくりをすべく教師も子供たちも一段ギアを上げて過ごしていきます。
*3月1日は,高校の卒業式でした。ニュースなどでも母校を巣立つ高校生の姿がたくさん映し出されていました。ニュースの取り上げ方は「マスク着用」が中心になっていたように思えましたが,高校を卒業する18の春は,保護者の方も含め,また格別な想いがこみ上げることでしょう。
12の春も同様,手塩にかけたお子さんの節目の日が良き一日となりますように。
*さて,甲斐市では,小学校の卒業式でのマスク着用等については,先日市内一斉に保護者宛に文書を出しました。国や県及び市教委から示された指針やそれぞれの小学校の状況等を考慮した上で式を挙行します。
マスク着用は必須となってしまいますが,校歌が3年ぶり?に聴けるのは楽しみです。
私個人としては10年ぶりに耳にすることになります。
(国歌や校歌等の歌唱,呼びかけ等は,マスク着用となります)
*本校では,卒業式の前々日に「5・6年卒業セレモニー」という式を行います。
これは,単に6年生の「卒業式リハーサル」では無く,5年生・6年生それぞれがめあてを持って,ともに集うセレモニーとなります。
6年生には先輩としての立派な道標を示してもらいたいし,5年生には目指すべき最高学年の姿を心に刻んで欲しいと思っています。共に良い時間が過ごせることを期待しています。
*新型コロナウイルス感染症予防に関して,来年度の学校生活(もしかすると5月8日以降?)も大きく変わることが予想されます。
音楽に関する活動や,給食の実施方法,色々な教科の活動制限は減じられるはずです。
分散型で実施した授業参観も従来通りでの実施,秋に行っていた学年毎の体育授業参観も半日ではありますが,全校一斉の「運動会」実施を検討しています。
*世の中の多くのことでコロナにかかる制限が緩和されるのは,大いに結構なことだとは思います。
しかしながら,子供を預かる学校現場では慎重を期したいと考えています。
今後も,御家庭に御協力いただくことも多々あることかと思いますが,よろしくお願いします。
現新執行部役員会議(No46)
*2月17日(金)「現新執行部役員会議」が開催されました。
議事は,5つ用意されていましたが,メインの議事は「来年度のPTA活動の予定」と「来年度の執行部の役職の選出」でした。
*まず,来年度のPTA活動の目玉になりそうな,「ふるさとの一夜」について話し合いました。
ここ数年,コロナ禍に見舞われ,開催を見送ってきた大きなイベントです。
<「ふるさとの一夜」の由来>
昔,この地域では青年団が中心となって「お弁天さんのお祭り(収穫の神様で校庭隣のため池に祀られています)を8月22日に行っていました。また双葉東小学校では,夏休みに子供達が集まれる行事がなかったため,当時(昭和50年ごろ)の校長先生が、「子供達の思い出作りのためにお祭りをしよう」と発案され,小学校でのお祭りが始まりました。
その後,「お弁天さんのお祭り」と「小学校のお祭り」が一緒になり,夏休みにみんなが集まれる日にPTAが主体となって「ふるさとの一夜」を開催するようになりました。
当時は,校庭にやぐらを組み,提灯をつるして,たき火をしながら歌を歌い,盆踊りを踊り花火を上げてにぎやかでした。
小学生だけでなく,ふるさとを離れた人達も集まって来ていたようです。ため池ができる前のこの地域は,疫病が流行し廃村になる村もあったそうですが水を引く苦労を重ねて,お米がとれるようになったそうです。これが地域の人にとって大きな喜びとなり,地域発展のもとになっています。
時代は流れましたが水を大切にする気持ちは受け継がれていて毎年「ふるさとの一夜」と同じ日に「お弁天さんのお祭り」も行われておりPTAでもお参りさせていただいています。
*令和5年度については,新役員にて「開催の決定,日程,内容等」を協議していきます。
実施できるとすれば秋頃になるかと思います。
*「現新執行部役員会議」のもう一つのメイン議事は,「来年度の執行部の役職の選出」でした。
14名の役員の中から,会長(1人),副会長(2人)を選出します。11人の方には幹事をお願いすることになっています。正式には,来年度のPTA総会にて承認をいただくのですが実質,この夜の話し合いで決まることとなります。
*現執行部については,猪股会長・小宮山副会長・柳本副会長の3名は立候補だったそうです。
ものの数分で決められたというので驚きました。ありがちは「重苦しい雰囲気」は一切なかったそうです。
*さてさて今回は・・・・・・というと,今回も3名の方が立候補してくれました。
もしかして・・・の対応のために「あみだくじ用の紙」もそっと用意しておきましたが,今年も出番はありませんでした。
4月のPTA総会は,今年度同様に紙面提案となりますが,R5年度の執行部役員の方々の御承認をお願いいたします。
かもしれない・・・(No45)
*外国で大きな地震がありました。多くの方が被災されています。地震の多い日本に住む私達にとっては,どこかよそごとで済ますことが出来ない気がします。被災に遭われた方にお見舞い申し上げます。
*さて,2月10日(金)は大雪で,県内でも多くの学校が授業を打ち切り,臨時の集団下校か保護者への引き渡しによって子供たちを自宅に帰しています。安心メールが使えるという前提になってしまいますが,大きな災害や天候の急変が生じた際には,学校からの連絡に御留意ください。
これもない方が良いと思っていますが,例えば休み明けに,『登校したら学級の半数がインフルエンザに罹患していた』等の事態が生じた時には,授業を打ち切り下校させる場合があります。
おそらく,「学校での引き取り」等になるかと思います。
*時間によっては,給食前に帰さざるを得ないこともあります。児童館利用も難しくなると思います。いずれにしても,保健所や市の教育委員会の指示を仰ぐ中での対応となります。
いろいろなケースが考えられるため,あらかじめ対応を想定してお示しをすることができません。
「子供が授業を中断して早く帰ることがあるかもしれない」
「学校に迎えに行かなくてはならないかもしれない」
「児童館の利用もできないかもしれない」
「給食を食べないことがあるかもしれない」
という「~かもしれない」だけでも頭の片隅に置いておいていただければ幸いです。
【追伸】
来週から『授業参観』が始まります。コロナ対策に係り,ずいぶんと制約の多い参観となってしまいますが,御容赦ください。お子さんの授業の様子を御覧いただく数少ない機会ですので足を運んでいただければ幸いです。
また,6年生を除いて学年部会はすべて紙面での扱いとなります。
文字だけでは伝わらないこともあろうかと思いますので,何かありましたら担任までお問い合わせください。
テストによって測ることの出来ない力(No44)
*3学期,1年間をしめくくる学期を子供たちは過ごしています。
各教室ともに学習の成果を測るため,いわゆるテストの回数も多くなります。
さて,人間の能力,実力には「テストによって測ることが出来るもの」と,「テストによって測ることが出来ないもの」があります。
どちらが大切か,と言えば両方とも大切だと思えます。
しかし,「どちらか一つだけ」というなら「テストによって測ることが出来ないもの」を選ぶ人が多いのではないでしょうか。
それは「テスト」が悪くても「テストによって測ることの出来ない力」を持った子ならいつかは克服をすることが可能だからです。
小学生のころテストの点数が悪くても,あとになって伸びていったという子はいくらでもいます。お家の方も,小学生の同級生を思い起こした時に「思い当たる方」がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
*「テストによって測ることの出来ない力」を持っている子なら,多少「ワンパク」でも大丈夫だと思っています。それよりも逆の場合が心配です。
つまり「テストの点数がいい子」でありながら「テストによって測ることの出来ない力」が不足している子が問題なのです。「テストの良さ」によってはカバーしきれないものがあるからです。
「テストだけが良くて,ほかに何も出来ない人間」の存在が企業などで問題になっていますが,まさにそれかもしれません。
*では「テストによって測ることの出来ない力」とは何でしょう。
それは体験することによって身についていく能力です。たとえば目的を達成するまで工夫するという力です。いろんな人の中では我慢しなければならないこともあるという体験です。
自分のやろうとしていたことが達成出来たときの喜びです。
あるいは,思うようにならなかったときの悔しさです。このような力は「テスト」だけでは得られないのです。一つ一つの体験の中で身につけていくものです。
*生活体験を豊かにするにはちょっとしたコツがあります。
例えば,お使いをさせる場合にも,ただ「○○を買ってきて」と頼むのではなく「一番安い所で」とか「新鮮なものをお願い」など一つの課題を与えると良いと言われています。
あるいは「二つの店を回って調べてから買ってきて」と頼むのもいいでしょう。
つまりは子供たちの知的好奇心をちょっとくすぐってやるようなスパイスがあると良いようです。
1人でお使いなんて,今の世の中危険でさせられないかもしれませんが,そのエッセンスを学びたいものです。
8.8%+α(No43)
*1月13日,文部科学省は「通常学級に発達障害のある児童生徒が8.8%在籍していると推定される」との調査結果を発表しました。あわせて「該当者のうち約7割が学校での支援対象から漏れている」という実態についても明らかにしました。
単純計算ではありますが,本校に置き換えると58人相当となります。
また,この見立ては教師によるものなので,「学校では問題無いけれど,家庭では・・・・」という子も少なからずいることでしょう。
*2月2日,山梨県立青少年センターで相談支援センターのチーフスクールカウンセラーを務めていらっしゃる保坂三雄先生のお話を聞く機会がありました。
児童相談所に長く勤められた経験豊富な先生の「どの子も安心して学び育つための支援はどうあるべきか。」というお話は得心のいくものばかりでした。
*特に印象に残ったのは次の2つのことです。
「不登校とは,多様な要因・背景により,結果として不登校状態になっているということであり,その行為を『問題行動』と判断してはいけない。」
「不登校支援のゴールは,狭い意味での学校復帰ではなく,最終的には『社会的自立』にある。」
*不登校や学業不振等にかかわらず,お子さんの心配ごとはどうぞお聞かせください。
一緒により良い成長につながるような話が出来れば幸いです。
*さて,山梨県では,今年度から「いじめや不登校,ヤングケアラー,発達」に関する相談等への支援を強化するために笛吹市に『相談支援センター』を開設しました。
本施設は学校関係者だけでは無く,児童やその保護者からの問い合わせにも応じてくれます。
相談は無料,匿名で,電話のみでの相談も出来るとのことです。
*子供の発達に関する相談であるならば
055-263-4606(平日9:00~17:00)
いじめ・不登校に関する相談であるならば
0120-0-78310(24時間・365日・通話料無料)
055-263-3711(24時間・365日)
必要があれば御利用を考えて見てください。
学校雑風景(No42)
*1月24日(水) 令和5年度新入児保護者説明会がありました。来年度の1年生は,現時点で110名以上となります。全校児童は,今年に引き続き680名を越えそうです。
児童数に関して言うと,令和4年度は,甲府市の山城小学校(1000人越え),玉諸小に次いで本校は3番目でしたが,令和5年度は,どうやら県下で2番目のマンモス校になりそうです。
同窓会の記念誌にも書きましたが,約50年前の昭和46年は,本校での新入生は35名,全校児童は、174名という規模でした。
半世紀という時間の中で,大きな変化があったことが児童数からも分かります。
*コロナとインフルエンザの同時流行が危惧されています。本校も,今週に入ってからは、コロナに関する欠席よりもインフルエンザ罹患による欠席者の方が増えています。学校では,引き続き感染予防の徹底を図っています。
寒い時期での換気や手洗いは,子供たちにとっても「ちょっと辛い」のですが・・・・・。
*私の出勤路は「県道 甲府双葉線」かつての敷島町を通り抜けて登美の坂を車で上ってきます。
1月25日の朝は,天気予報通りにとても寒いものでした。(全日夕方からの雪と風には参りました。)
敷島地区では見られなかったのですが,登美の坂を上るあたりから道路両側の歩道部分が白く凍り付いているのが分かりました。ちょっとした標高差の違いかもしれませんが,目に映る風景は大きく違っていました。
*先日の雪(吹雪?)のせいで,その翌日学校の児童玄関前ローターリーはほぼ一面アイスバーンでした。職員に話していませんが,先週スキー教室出発の朝,バスに乗り込んだ5年生を見送る際に,たまたま一部凍っていた部分に足を取られてマンガみたいに派手に転びました。(小指の打撲とともに携帯画面がひび割れたことはとてもショックでした。)私自身の運動神経の悪さもあるのでしょうが,全く受け身がとれないままの転倒でした。
*今朝は,そんなことも心配していつもより早い時刻で出勤をしたのですが,学校ではすでに若い職員を中心に7時前から塩化カルシウム(塩カリ)をまく作業が始められていました。
管理職の指示ではなく,自分で判断して始めたと言うことに手前みそではありますが,本校職員の「気が利く」姿に感動しました。
学校に限らず組織では,往々にして上司の指示を待って行動することが多いのですが「子供のため」ということが何より優先されたことを嬉しく思いました。
反応するということ(No41)
*小学校の教師は年間で約1000時間の授業をします。1000時間の授業で私たちは,いろいろなことを子供たちに学ばせていきます。
その内容は,漢字をおぼえるとか計算が出来るようになるとかいう知識に関するもの。
公平・公正などといった言葉に代表される道徳観に関するもの。
さらには,人と人との関わりを培う社会性などと実に多岐にわたっています。
*ところで人間は,一生のうちに実に多くの人と出会うことになります。
人と人とのつきあいの中で「反応する」というのはとても大切なことだと考えています。
ですから,学校生活の中で子供たちには「反応する」ことの大切さを身に付けさせたいと思っています。全国全ての教師は「友達を大切にしなさい」と子供たちを諭します。
では,授業の中で「友だちを大切にする」とは,どういうことを言うのでしょうか。
それは,友だちの考えや行動に対して何かしらの「反応」をまずはしていくことだと思っています。
この「反応」というのは,「僕も同じ考えだよ」とか「僕はちょっと違うんだけど・・・」などと相手に対して自分の考えを示していくことです。
双葉東小の子供たちには「反応するという姿勢」を学校だけではなく,普段の生活の中でも大事にしてほしいと思います。
*さて,教師である私自身はどうでしょうか。
おはよう,さようなら,(おやすみなさい)」から「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」「たすかるよ」「すごいね」・・・・・出し惜しみしない習慣が自分にも身に付きますように。
新たな気持ちで(No40)
*2023年がスタートしました。
昨年も日本のみならず世界中で新型コロナウイルス感染症が猛威をふるい,学校をはじめとして社会全体が大きな打撃を受けました。今もなお,このウイルスとの闘い(それとも「ウイルスとの共存」)は続いておりますが,本校がこうして平穏無事に新年を迎えることができましたことは,ひとえに御家庭の本校教育活動に対する深い理解と協力の賜です。
このコロナ禍を乗り切り,今年が昨年以上に豊かな一年となることを心から願ってやみません。
*新しい年明けというのは良いものですね。心があらたまるというか,新しい目標に向かうエネルギーをもらえるというか,人を前向きな気持ちにさせてくれます。
私などは,子供の頃から「捕らぬ狸のなんとやら~」で過去を顧みず,今年こそ○○を克服したい,とか,今年こそ○○を始めようとか,想像力が無性にかき立てられる時期でもあります。
私のような「捕らぬ狸~」では残念ですが,子供たちには是非,「ああなるといいなぁ」とか「こうなりたい」という想いを持ってもらいたいと思います。
まずは,自分を突き動かす「想像」をしてほしいと思います。
新年に描いた想いがどの子も大きくなりますように。
*さて,暮れの忙しさを家族で頑張り,お正月を家族で楽しく過ごしたことと思います。
今度は,暮れの頑張りやお正月の楽しさを思い出しながら,学級の仲間と頑張り楽しい生活を一緒になってつくっていきます。
クラスの仲間と歩調を合わせて一緒に活動するのは,難しいときもありますが,頑張ってできたり,分かったりしたときのうれしさは,より大きくなることは言うまでもありません。
みんなで考えたり,計画したり,やってみたりすると,困ったりうまくいかなかったりすることもあります。でもこうした躓きがあるからこそ集団で学ぶという学校教育の価値があるような気がします。
みなそれぞれにそれぞれの良さを持った一人ひとりが集まった集団なのですから。
良い年末年始をお過ごしください(NO39)
○文化を受け継いでいく
*冬休みに入ります。子供もたちの中には冬休みは「寒くて勉強が思うように進まないからある。」と考えている子もいるようですが,寒さのせいなら『2月』の頃の方が適当でしょう。
冬休みがこの時期にあるのは,人間の歴史と関係あるように思います。
人間は長い歴史の中で様々な文化を創り出してきました。
暮れや正月にもそうした文化があります。学校では到底経験できないような大切なものがあるから学校から子供たちを地域に返して冬休みとして生活させるのです。
ですから「暮れの忙しさと正月の楽しさ」を十分に味わわせたいものです。
コロナ禍のもと,ステイホームが多くなるのでしょうが,テレビの前で「ごろ寝」ではこうした文化を受け継ぐことは出来ません。令和5年への新しいステップとしてぜひ良い経験が積める休みであって欲しいと思います。
○命の大切さは繰り返し
*年末年始は別として,休み中,子供だけで過ごす日も家庭によってはあるかもしれません。どうぞ,自転車の乗り方や友達との遊びの内容について,よくよく話し合っておいてください。
『口うるさいなあ』と子供から思われても,ひるむことなく親の考えを良い意味で押しつけて欲しいと思います。命の大切さは繰り返し,繰り返し語っても決してすり減ってしまうようなものではないはずです。
*子供たちには自分の命を自分の力で守る力(智恵)をしっかりと身につけて欲しいものです。
交通事故に遭わないようにする力(智恵),
病気にかからないようにする力(智恵),
犯罪に巻き込まれないようにする力(智恵)などです。
そして一人前の大人として社会へ出てはたらいていける力を徐々につけていくことが出来るようにさせたいものです。
*どの子も,どの家庭も,よい年末年始を過ごせますように。
私たち双葉東小職員も年末年始でしっかりと心と身体の充電をいたします。
学校雑風景(No38)
*冬期休業が近づいてきました。それに伴って特別日課を組んだり,普段の時間割とは違った学習を行ったりします。中には,学級でのお楽しみ会などを催すクラスもあることでしょう。
*楽しいことはホントにウキウキして心待ちにしてほしいものですが,こんな時,普段ではしないような失敗(ケガをしてしまう,ガラスを割ってしまう等)が起こることが多々あります。担任もきっと手綱を締める(!)ことかと思いますが,放課後や休日の安全な過ごし方については、御家庭でよろしくお願いします。
*登校中,ポケットに手を入れたまま歩く子供の姿をよく見ます。手袋してくると良いのになぁといつも出勤時,車の中から横目に見ています。いざという時,両手が使えるよう家庭でも手袋着用を推奨してください。
*先日、高学年の男の子が2人,校長室を訪ねてきてくれました。
「くだらないことですが・・・聞いても良いですか?」と切り出しました。
校長室など敷居の高さを感じる子供もいることでしょうから,珍しい来客に嬉しくなりました。
彼らが学校を代表する校長に聞きたかったのは「クラスでの置き勉」についてでした。
決してくだらない質問ではことはないことを伝えた上で,学校のきまりと置き勉の関係について話しました。
スッキリとした表情(私にはそう見ました)で校長室を出て行ったので納得してくれたことだと思います。
「疑問に思ったことは自分で確かめる」とても良い習慣です。
学校雑風景(No37)
*寒暖の変化が一番大きいと思われる2学期がまもなく終わります。
先週は,個別懇談への来校ありがとうございました。短い時間でしたがお子さんのこれまでの成長,これからの成長について担任と話ができていれば幸いです。
*教育は「学校教育」「家庭教育」「社会教育」に大別されます。(もちろん明確に区分けできない部分もありますし,同じ内容を学校でも家庭でも重ねて教えるようなこともありますね。)
基本的な生活習慣,食に関すること,金銭に関すること,自転車の乗り方等は,家庭教育にその多くを委ねることとなります。こうしたことに関しては,今後も学校から遠慮なくお願いをしていきますが,よろしくお願いします。もちろん学校でその多くを請け負う部分については,遠慮なく御相談ください。
*懇談を通してお家の方から色々な要望を聞かせていただいた担任もいることかと思います。
「子供のより良い成長のために・・・」というベクトルを家庭と共有して努めて参ります。残り少ない2学期ですが変わらぬお力添えをお願いします。
*依然として新型コロナウイルス感染症の心配が尽きません。今週は学級閉鎖もやむなしという状況でした。
該当したクラスの御家庭では,日中の子供の面倒など大変な思いをされていることだと思いますが,御理解と御協力に感謝いたします。
*学校では「当たり前のことを当たり前に・・・」ということで,あらためて,マスク着用・手洗・密を避ける学習の工夫等を職員と子供たちで確認しました。しかしながら,放課後等も含め,教師の目が行き届かないところで密になっているなどということはあろうかと思います。新しい生活様式にならって過ごすことを大前提に,大切なことは繰り返し,繰り返し教えていきましょう。
「当たり前のことを当たり前にできる子供」の育成に共に励みましょう。
よりよい自己イメージを描く(No36)
*古い話で恐縮ですが,大相撲についてNHKニュースで紹介されたのは「白鵬関が再び稀勢の里関に敗れる」というものでした。奇しくも64連勝を止めた相手に再び横綱が屈したのですから話題になるのも頷けます。TVでは白鵬関は前日,先場所稀勢の里関に負けた一番をビデオで繰り返し,繰り返し見て研究したと報じていました。
*これまた古い話ですが,プロ野球の日本シリーズで西武と広島が対戦した年がありました。
その第1戦は,11対3で西武が圧勝しました。広島カープの大事な初戦の先発は当時のエース佐々岡でした。そのシーズン,セリーグの最多勝・防御率ナンバーワンのピッチャーです。日本シリーズは,先に4勝すれば優勝という短期決戦ですから,当然広島は佐々岡を中心にして投手のローテーションを組んできます。
西武ライオンズとすれば,この佐々岡を徹底して打ち崩せば,おのずと楽な戦いになるはずです。
*翌日の新聞には『たった61球,初陣に涙』というタイトルで,秋山・清原・デストラーデにそれぞれホームランされた試合の模様が解説してありました。
~力みから球が高めに浮き,制球も定まらないまま,リズムに乗る前に打たれた~
そして興味深いのは
~佐々岡投手の投球をビデオで徹底研究。それも佐々岡が打たれるところだけを見せて臨んだ西武打線~ とあったところです。
「相手ピッチャーをビデオで何度も見る」これは高校野球でもやっているいわば常識的なことですが,佐々岡投手が打たれる場面だけを選手に徹底的に見せた,というところにわずか3回で降板という布石があったのではないかと思います。
バッタバッタと三振を取っている姿ではなく,投げれば打たれるという佐々岡投手のビデオをみた西武ナインはイメージの世界の中で『たいしたことない』という確信を持ったことでしょう。
*梅干しを見た瞬間から,酸っぱさが口の中に広がっていきます。
飛行機に乗って激しく揺れはじめると墜落を想像します。
少なからず私たちは今までの体験から様々な枠組みをセットしています。
どういうセットがされているかが問題です。
スポーツの世界で強豪と呼ばれるようなチームは当然ながら負けた体験よりも勝った体験が圧倒的に多く,試合をすれば勝つという情景がセットされています。勝ち癖はますますチームを強めます。好打者といえども,7割はアウトになっています。しかし,3割の成功体験でセットされ,失敗の方はすぐに忘れているのではないでしょうか。
*相撲素人がどうこう言えることではありませんが,もし稀勢の里関に快勝したシーンだけを白鵬関が見ていたとしたらそのときの勝負の行方はどうなっていたのでしょうか。
勝負事に「もし」や「たら」「れば」はありませんが,ちょっと興味深いことだと思いませんか。
*双葉東小では子供たちの自尊感情を高めることが大切だと考えています。「よりよい自己イメージを描く」ためにはどんな体験を仕組み,どんな心持ちをセットさせるか,ちょっとヒントがあるような気がしました。
SOSの出し方(No35)
*山梨県ではたらく公立の教員には山梨県が目指す「学び続ける人」,「共に生きる人」,「未来を拓く人」の育成に向けて重点的に取り組むべき指針が示されています。
その中のキーワードに「SOSの出し方に関する教育」というものがあります。
背景には,子供を取り巻く環境が大きく変化する中で,困ったことがあっても「助けて」が言えない,SOSが出せない子供が多く存在するだろうという考え方に立っています。
*堅苦しい言葉におきかえると「援助希求的態度の育成」だそうですが,心の危機への対処方法として他者に援助を求めることの重要性を知ったり,友人の危機に気付いた時の対応方法等を学んだりします。(時には子供同士のトラブルを解決する中で自然に学んでいきます。)
*さて,この「援助希求的態度」である「困ったことがあったら自分の口で言うんだよ」は,どの家でも普段から話されていることかと思います。学校も同様です。
*私が「さすがだな」と思う教師は誰一人として授業中に「分かりましたね」と念を押すような言い方はしません。
「よくわからない人はいますか?」とか
「困ったことがありますか?」と子供に投げかけます。
そして安心して自分の困りごとや失敗を話せる雰囲気をその学級につくりあげます。
*大人であれ子供であれ「救いの手を差し伸べる」よりも「救いの声を発する」ことの方が難しいような気がします。
体調不良時の訴えに限ったことではありませんがSOSが上手に出せる子供の育成にどうぞ御協力ください。
本物か偽物か(No34)
*私事で恐縮ですが・・・。
1年前に父を亡くしました。その際,お世話になったお寺の御住職が「本物と偽物」という話をしてくださったのを思い出しました。
『お坊さんというのは医師や教師と違って,免許状がない。
よって,本物とそうでないものとの区別をすることが困難。
通夜式や告別式などお坊さんの所作を見れば意味は分からずともありがたみは感じるかもしれない。
ありがたみは感じるかもしれないが,本当のところは分からない。
だから当寺では通夜式・告別式等の儀礼について一つひとつ丁寧に説明を加えながら行う。
それをみてもらい本物であるか偽物であるのかを判断してもらいたい。』
*そんなお話をいただいた後に,通夜式から始まるいろいろな読経や所作,一つひとつの意味を賜りながら父をおくっていただきました。
*私たち教師は教員免許状を有しています。
「本物か偽物か」で言ったら本物です。
しかし,本物たる努力を怠ったら,それはもう・・・・・。
この学校に通う子供たちやその保護者の方には,双葉東小の教育に触れていただき,本物であることを感じ取ってもらう。
そんな研鑽を職員とともに積んでいきたいと思います。
*さて,11月16日は,外部の方を招いての研究会でした。
若手教師からベテラン教師までが,クロムブック(一人一台端末のことです)をどのように活用したら効果的な学習ができるのか,を学びました。
この端末を活用した授業については,経験豊富な教師であっても極端な話,一から新しいことを学んでいきます。
本物でいられるよう日々修行です。
支えられて(No33)
*11月6日(日)甲斐市一斉に防災訓練がありました。施設を提供する学校関係者代表ということで,教頭,主幹教諭とともに出席をしました。
今回は,情報伝達の確認と簡易トイレを実際に組み立ててみるというのが主な目的でした。
*自治会の出席者の中にかつての教え子のお父様がいらっしゃいました。
当時、本校に一緒に勤めた時期もあり,(訓練中ではありましたが・・・)懐かしい話をさせてもらいました。
懐かしい話とともに,今現在,集団登校で登校する双葉東小の子供がいかに素晴らしいかを教えてくれました。
*朝の集団登校での風景です。
道路を横断する際に班長が旗をあげる。
車が停車したことを確認すると、副班長と協力して班員を渡らせる。
班員すべてが渡り終えると停車してくれたドライバーに向かって深々とお辞儀をする。
その礼儀正しさに心打たれたということでした。
この素晴らしさを何かの機会に伝えたいとも仰っていました。拙文ではありますが,この校長だよりにてお伝えすることとしました。
*30代の頃,双葉東小の子供たちが登校する場面を目にしながら南アルプス市の学校に通勤していました。
当時の双葉東小の子は,信号の無いバス通りを横断する箇所もあったのですが,褒めてくださった話と同様,班長・副班長がリードして安全に下級生を横断させていました。渡り終えるとドアの窓を閉めていても聞こえるくらいの声で班員全員が揃ってお礼を言ってくれました。
教え子のお父様が感じたことと、全く同じ感動を覚えたものでした。
*さて当時,勤務する学校に近づいてくると勤務校の集団登校の姿も目にします。教師の私が言うのも何ですが,雲泥の差でした。勤務する学校では高学年を受け持つことが多かったので,この双葉東の朝の光景を良く子供たちに話したものでした。担任するクラスは班長・副班長を務める子が多かったからです。
何とか,こうした素晴らしさ(何よりも安全に思えました)を伝えたいと思いましたが,教えることはできても身につけさせることはできませんでした。
*あらためてこうした集団登校での立ち振る舞いの素晴らしさは双葉東小の良き伝統の1つであると思います。
勤務校での苦い経験を踏まえると,伝統はそう簡単には身につかないということもよくわかりました。
*もちろん,課題を抱えている登校班も少なくはありません。
集合時刻を守らない子がいる 整列して歩けない 横断時に走る 等々。
これら以外でも,旗振り当番で立たれたときなど保護者の方が心配されるような場面もあろうかと思います。
保護者の方には,
『うちの子,よその子,ひがしの子』として遠慮無く御指導,声かけ等をしていただければと思います。
双葉東小の良き伝統は、保護者の方にも支えてもらっています。
思いあがり(No32)
*古い教育書を取り出して読み返していたら,次のような一節がありました。
教室で落ちつかない子がいる。
あちらこちらに,ちょっかいを出す子がいる。
「学習以前の問題だ。学習態度ができてない。」と多くの教師は考える。
そこで厳しくしつけをする。
おこることもあるし,怒鳴ることもある。
「学習以前の問題だ。学習態度ができてない。」
と考えるのは,教師の思いあがりである。
思い上がりで悪ければ,錯覚である。
「教室で落ちつかない子」がいるのは,ほとんどの場合,教師の技量の未熟さのためである。
教師の技量の未熟さ・・・・それは,はっきりとしていて「授業がつまらない」「授業が知性的でない」ということである。
子供たちが知的興奮をおぼえるような授業をすることができれば,教室は落ち着きを見せるようになる。
*少し前になりますが,この学校での教え子が校長室を訪ねてきてくれました。
明朗快活,スポーツ万能,優秀な卒業生です。
就職については,企業の内定もいただいていたというのですが,双葉中学校での教育実習を経て,教師の道を目指すことにしたという報告を兼ねての訪問でした。
自分の人生を転換するほどの経験を教育実習のわずか数週間でしたということです。
別れ際に,教師にとって大切な素養とは何でしょうか・・・と聞かれました。
気取った言い方になりますが,概ね次のような話をしました。
「謙虚であること,自分の教育の結果に対する限りない疑いを持つこと」
*さて,卒業生に対しては随分格好つけたことを言いましたが,
教育書に書かれていたような「教師の未熟さ」に,
私は目をそらしたりはしてないだろうか。
思いあがってはいないだろうか。
そもそも,そうした感性を持っているのだろうか。
卒業生に語ったように「謙虚」であるだろうか。
「子供は教師を選ぶことができない」という事実を重く受け止められる教師でありたい。
感激の共有(No31)
*10月21日(金)2年生が「まちたんけん」の学習を行いました。校外での活動となるため多くの保護者の方の御協力を仰ぎながらの実施となりました。朝早くから,お昼近くまで子供たちに寄り添っていただきましたことに感謝申し上げます。お陰様で安全に行うことができました。
*この2年生の「まちたんけん」学習が終わろうという時間に校長室の内線電話が鳴りました。
双葉中学校からです。電話の主は,双葉中学校の市川教頭先生。
今日の「まちたんけん」の見学場所には双葉中学校も含まれているのですが,見学に来た子供たちの素晴らしさを伝えてくれる内容でした。子供たちがきちんと応対したり,メモをとったり,その姿に「心癒されました」とのことでした。
同じ職業柄ではありますが,学校外の方にこうして我が校の子供たちが褒められるのは格別に嬉しいものです。早速,2年の担任にもこのことを伝え「感激」を共有させてもらいました。
*学校に戻ってきた子供たちに,たんけんの話を聞きたくて声をかけましたが,それこそ「我先に」とばかりに多くの子が群がってきて,一斉に話し始める状況でした。
興奮冷めやらぬまま,話してくれるのですがその勢いに圧倒されました(!)
「本物に触れて学ぶ良さ」
良い体験ができました。きっと,お家に帰ってからも夢中で今日の勉強を話したことだと思います。
跳ぼう 跳べる(No30)
*いつもながら,読んだ本の受け入りで恐縮です。
どうやら人生にはハードルがあるようです。それも高いハードルもあれば,低いハードルもあるようです。わたしにとって高いハードルは,16歳・18歳・20歳・21歳・24歳・26歳・34歳と今までに7回あったようです。そして今また高いハードルの前面に立っているような気がしてなりません。
ところで16歳には16歳用のハードルが用意されています。30歳には30歳の,50歳には50歳用のハードルということです。私の場合も,21歳の時には21歳用のハードルが用意されていました。時期を違えて33歳のハードルは,その時には来ないのです。『逢うべき人には必ず逢える。しかも,一瞬たりとも早すぎることなく,遅すぎることもなく-』という言葉がありますが,まさにそれと同様に,その歳のその人の能力や馬力にキチッと合ったハードルの高さが用意されているようです。
さて,人間はサイコロのような立方体の魂をもって生まれてくるようです。そして,高いハードルから逃げることなく見事に跳び越えると,大きな彫刻刀でグイッと深く削られていきます。例えば,今日は体がだるいけど,でも頑張ろうというような場合,低いハードルなのでしょうが,小さな彫刻刀で細く削られていきます。
そして,この人生大学を卒業するとき,つまり最期を迎えたとき,常にハードルを乗り越えてきた人はみごとに彫刻刀で削られた『地球儀』のような,まん丸の魂になって召されていくのだろうと思います。
跳ぼう,跳べる。ハードルは跳躍可能な高さでやって来ます。
*双葉東小での教諭時代で管理職になることを意識し始めた頃,尊敬する教頭先生に
「管理職を目指して勉強しようと思っていますが,どんなことを心がけたら良いのでしょう。」と聞いたことがありました。
管理職選考には,法規や論文が課されるので,法規を勉強する際のコツや論文対策のノウハウなど教えてもらえればと思っていました。例えば,〇〇社が出版している対策本がいいよとか,論文書きだしのポイントは・・・・などといったアドバイスです。
ところがその教頭先生から言われたことは「ゆれない教育信条を持つこと」でした。その人間の芯となるものをしっかりさせなさいということです。そして,もう一つ教えてくれたのは「誰かに仕事を頼まれたらすべて気持ちよく受けるといいよ」というものでした。それは,自分に見合ったハードルが来るからきちんと跳び越しなさいということを教えてくれるようでもありました。
*小学生でいうと7歳には7歳のハードルが,12歳には12歳のハードルが用意されているのかもしれません。そのハードルが跳躍可能であることを諭し,跳び越えるための勇気を出すためそっと背中を押してあげるのが大人の役目であるような気がします。
結婚式で感じた違和感(校長だよりNO29)
*ちょうど1年前に,姪の結婚式に招待されて出席させてもらいました。コロナ禍にも配慮して親族のみの結婚式でした。チャペルで感動的な式を挙げたあと,「食事会」と称した披露宴を行いました。
お酒を酌み交わし・・とはいきませんでしたが,親族同士,久しぶりの会食となりました。
*食事会の前に,記念撮影をしました。ベテランカメラマンが新郎新婦を真ん中に据えた後に親族を並べていきます。
テキパキと指示を出してくれるのですが,なんともマニュアル感が前面に出ていて少しばかり感動していた気持ちに水を差されたような気がしてしまいました。デジカメとはいえ,矢継ぎ早に30枚以上フラッシュをたきながら写真を撮られる経験も初めてでした。
*食事会場には,若いスタッフの方が10名以上いらっしゃいました。中には,アルバイト学生の方もいたのではないかと思います。感心したのは、スタッフの接客態度が素晴らしかったということです。
ぱっと見,『何の食材を使った料理なんだろう』といったお洒落な料理もテーブルに並ぶわけですが,その一つひとつ丁寧に説明をしてくれました。もちろん,マニュアルどおりといってしまえばそれまででしょうが,余計な説明はなく,必要な情報だけ上手に提供してくれていました。
*食事会場での若いスタッフ,ベテランカメラマン,違いは何だろうと今更ながら考えてみたら自分が感じた違和感に気がつきました。
指示は的確でありながら何となく心が伝わらなかった集合写真,仕方の無いことかもしれませんがその指示を出されるカメラマンの方は,あまり私たちに目を合わせることなく事を進めていたのです。
長年の経験で手際の良さは身につけていらっしゃったはずですが、ちょっと無機的に感じてしまった原因はそれだったように思います。
*「子供の目の高さで話す」という言葉があります。
文字通り物理的な高さもあるでしょうが,教師ならばその「高さ」の真髄は分かっています。
「目は口ほどに物を言う」という言葉もありますね。ただでさえ,マスクで表情や想いが伝わりにくくなっている昨今ですから,大切に考えたいものです。
お願いばかりとなります(校長だよりNO28)
お手紙やメールでお家の方に色々とお願いをすることがあります。
1つめは,「冬日課がはじまるので下校時刻が変わります」というものです。
(10月11日付けのおたよりです)
時間と言えば「うちの子がまだ、学校から帰ってきていません。」という御連絡をいただくことが年に数回はあります。学校は,原則,下校時刻を過ぎて留め置くようなことはありません。これまでも多くは下校途中に友達の家により込んだとか道草しながら帰ったというのがほとんどでした。幸い危険な目に遭ったということは起きていませんが,日の暮れも次第に早くなっていきますので御家庭での声かけをお願いします。11月1日より,冬日課として下校時刻は午後4時10分になります。
2つめは,「新型コロナウイルス感染に係る連絡方法の変更」についてです。
(10月6日付けのおたよりです)
これは,メールとお手紙で御案内をしました。詳しくはお手紙を見ていただくのがよいかと思います。お子さんが「陽性者」となった時と「濃厚接触者」となった時で少し連絡方法に違いが出ます。
双葉中学校や児童館への連絡を併せて行ってもらうことに変更はありません。
保健所からの指示が簡素化されますので自宅での療養期間(待機期間)の確認については御留意ください。
3つめは,「学校での電話対応」についてです。
(10月7日付けのおたよりです)
これは,甲斐市教育委員会からの指導のもとに16校一斉の取組となります。
概要としては,「平日の電話対応は18時まで,土日は終日対応いたしません」というものです。
保護者の皆様には,御不便をおかけすることもあろうかと思いますが,よろしくお願いします。
「学校は,平日18時までしか電話を取りつがない」としながらも,場合によっては,
「18時以降であっても,学校からどうしてもその日のうちに御家庭と連絡を取りたい」ということもあると思います。例えば,欠席した場合や学校で生じたトラブルなどを伝える場合などです。
そういう場合があることを,あらかじめ御承知おきください。
<急を要する時間外での電話連絡>
保護者の方:市教育委員会(055-278-1696)に連絡願います。
学校(担任):時間外であっても御家庭に連絡させてもらうことがあります。
なお,お手紙で案内したように
『学校からの不在着信があった場合,決められた時間以降は折り返しの連絡をいただく必要はない』ことを申し添えます。
簡単そうで難しい(校長だよりNo27)
*担任時代の話です。夜の9時過ぎだったでしょうか,当時担任していたクラスのA君から自宅に電話がありました。「何だろう?」と思ったのですが,「算数のプリントで分からないところがあるので明日の休み時間に教えてください。」というものでした。
う~ん,これってなかなか言えることじゃぁないぞと感心しました。A君には悪いのですが「家の人に(そう言う様に)言われたの?」と確かめたところ『そうではない(自分で判断した)』と言う返事だったので,ますます感心してしまいました。
う~ん,これってなかなか言えることじゃぁないぞ!!
*分からないところがあった時に子供たちの前には目には見えないけれど小さな分かれ道が出来ます。
・友達に教えてもらう ・家の人に教えてもらう ・教師に教えてもらう ・ほうっておく?
分かれ道の数は人によって違うのでしょうが,どの道を進むかを決めるのはその子自身です。
*一番簡単なのは『友達に聞く』ということになると思います。親切な子が多いので聞かれた時に「イヤだよ」なんて子はいませんからなおさら選びやすい道だと思えます。ただ気をつけないと親切にするあまり(?)答えを直接教えておしまいということもないとはいえません。
(単に答えを教えるのではなく解き方を導いてあげる教え方が出来るようなら相当な実力の持ち主です。)
*『友達に教えてもらう』と同じ位に選ばれるのが『家の人に教えてもらう』だと思います。
お家の方にとっては大変でしょうが本当に助かります。でも親子という関係だと時に甘えが出てしまい「教え方が学校と違う」とか「よく分からない」などと言う子供からのラフプレー(!)があるかもしれません。教師という仕事をしているわが家でも,子供が小さい頃は,かなりの割合で最後はケンカ別れとなったものです。
*「教師に教えてもらう」というのは子供達にとってはちょっと敷居が高いようです。当時担任は鬼の竹野でしたからなおさらでしょう。
しかし『A君』のことを教室で話したところちょっと嬉しい波及効果がありました。K君が同じように『どうしても解けない問題があるので教えてください』というのです。善いことがクラス全体に染み渡っていくのには少しばかり時間がかかりそうですが,こうしたことへのフロンティアに誰もがなれることを期待しています。
いろいろなタイプがありますが
*当時こんなこともありました。「金曜日の放課後は『残り勉』の日です。」と一週間前から子供達に宣言をよくしていました。
・作文 ・算数プリントの直し ・テストの直し が終わっていない子は残ってやっていってもらうというシステムです。
これは事前に予告しておくので,それまでに提出が終わっていれば晴れて『無罪放免』(?)というシステムです。
優しい担任(!)は子供たちに1週間の猶予を持たせておいたのですが・・・・。中には,自ら志願して『金曜日,残り勉で教えて下さい』という殊勝な子もいました。
*残り勉などとハッパをかけられるとすぐその場で課題を済ませてしまう子がいます。その一方で『少しでも先延ばし』というタイプの子もいます。前者はコツコツ型,後者は一気集中爆発型ですね。
一概にどちらがいいとは言いがたいのですが・・・・親としたら・・・ねぇ,ですよね。
自主学習のススメ(校長だよりNo26)
*自主学習に子供たちは毎日取り組んでいます。名前こそ「自主」となっていますが,「取り組む」「取り組まない」まで自主的というわけではないでしょう。基本的には毎日決められた時間取り組んでほしいと担任は思っています。
*「何に取り組んだらいいのか?」そんなことを迷ってしまう子もいるようですが,考えようによっては「学習内容を考える」ところからすでに自主学習はスタートしているのかもしれません。
小学生の場合,学習効果を高めるには予習よりも復習に時間を割く方がよいと言われています。
*取組内容を考えることに困った時のために担任は,他の子の取組を紹介したり,メニューを案内したりしています。参考にすると良いかと思います。それでも行き詰まった時には教科書の視写をするのが良いと思います。いわゆる丸うつしです。単純ですが国語や社会は効果大です。
*以前甲府で大きな教育研究集会がありました。そこで子供文化の研究に精力的に取り組まれている明石要一氏(当時千葉大学教授)の講演を聴きました。大変興味深い話をいくつか聞かせてもらったのですが,「子供たちの学習方法」に関する話に次のようなものがありました。
『 「あなたの学習方法は次のどのタイプですか。」
・コツコツ型 ・ヤマをはる(ポイント学習) ・一夜漬け型 ・勉強だけが人生ではない
(研究会場にいる教師に対して)
先生方,この問いかけに対して、一番多かった回答は何だと思いますか? 』
*この質問を千葉県内の中学2年生,約900人に聞いたそうです。
約半数近くの子は「勉強だけが人生ではない」を選んだそうです。
その数の多さに明石さんも驚いたといっていました。もちろん「勉強だけが人生ではない」という考え方を否定するわけではありませんが,私たちが中学生だった頃とはずいぶんと傾向が違うものだなぁと思いました。
*ちなみに,明石さんによると小学生の頃は『コツコツ型』が,中学生では『ポイント学習型』が望ましいと話していました。お宅のお子さんはどのタイプでしょうか。
核は固定してはならない(校長だよりNo25)
*体育授業参観という大きな行事が待ちかまえています。コロナ禍によって大きく内容は変更していますが,クラスで,学年で取り組むこうした活動の中でこそ,子供たちはいきいきと動き,鍛えられていくものです。そうした中で,いろいろな子が様々な場面で活躍してくれることを願っています。
*以前勤めた学校(我が母校 若草小 800人規模)で6年生を受け持っていた時,こんなことがありました。その日は,全校のリーダー学年として6年生が運動会の役割を決めることになっていました。運動会を支える係,色組のリーダー,全校種目のリーダー・・・・・。
その時,授業中は,どちらかというと大人しく見られがちな女の子が突如として運動会の花形『赤組応援団長』に立候補したのです。クラスのみんなを引っ張っていくということとは,全く縁遠い印象を持った子だったので本当に驚きました。教師からも周りの友達からも『突然』に映った立候補だったのですが,本人によると1年前からの構想だったと後で聞きさらに驚きました。
*『ホントに大丈夫?』という周囲の心配をよそに彼女はそれまで聞いたこともないような大きな声で赤組集団200人を引っ張りました。それから卒業までの半年間,いろいろな場面で積極的に活躍する彼女の姿がありました。
*学級の中にリーダー(核)を固定してはならないというのはこうした『事実』がどこの学級でも起こりうるからに他なりません。その時々に文化,スポーツ,レクレーションなどそれぞれの活動にふさわしい多くの子供が,核として認められ成長していけばいいのです。
*核の位置は,決して固定せずに可動的でなければなりません。特に小学校教育ではそうあるべきでしょう。運動会に限らず学校行事を通してクラスの中で,学年の中で,自分の殻を打ち破って活躍する子が出てくることを期待しています。
子供の下校(校長だよりNo24)
*引渡訓練への御参加ありがとうございました。学校から遠い地区の方も多数いらっしゃいますが,徒歩での来校に感謝いたします。今回は,大規模地震の警戒宣言が発令され市から「避難命令」が出されたことを想定しての訓練でした。保護者の皆様の御協力も有り,全体では大きな混乱もなく実施できました。細かな点についての反省は職員でも行いますが,何かお気づきのことがありましたらお知らせいただけると幸いです。
*台風接近,不審者対応,コロナまん延予防等々・・・学校では児童の下校について急な変更をすることがあります。例えば・・・
・授業を切り上げて早く帰す。 ・学校に留め置いてから予定時刻より遅く帰す。
また,下校方法も
・学年ごとの下校 ・集団登校班での一斉下校 ・保護者への引渡 など考えられます。
*学校として一番気を遣うのは「いつもより早く帰す」というパターンです。早く帰したら「家に入れない」「ひとりぼっちになってしまう」という状況がつかみきれないからです。安心メールも遅滞なく発信はしますが,お仕事や御家庭の都合で必ず確認してもらっているわけではないと思います。こうした心配がどうしても払拭できません。授業を切り上げることに至った内容にもよりますが,確実な方法として今後「引渡」を選択させていただくことがあろうかと思います。今回の訓練がそうしたことのシミュレーションにもなったとしたら幸いです。子供たちの下校変更に関しては,今後も保護者の方には御面倒をおかけすることになりますが,変わらぬ御協力をお願いいたします。
学校雑風景(校長だよりNo23)
*新学期がスタートして1週間がたちます。朝夕は,だいぶ涼しくなったかなと思ったのですが、日中の蒸し暑さは依然として感じます。寒暖差の大きさで体調を崩すこともあるとテレビで報じていました。加えて,夏休みを終え,お子さんが夏季休業モードから登校生活リズムに戻るのに苦労されたお宅もあろうかと思います。引き続きお子さんの体調管理に御配意いただきますがよろしくお願いします。また同居されている御家族の皆様もどうぞ御自愛いただけますように。
*本校ではコロナ禍に見舞われた時から運動会の実施を見送ってきました,市内の他の小学校も、半日開催,分散開催など今年度も変更を余儀なくされています。どの学校も大きな制約を受ける中で工夫をして運動会の実施を進めています。
従来のスタイルでの運動会が実施できず,マイナス的なイメージだけがクローズアップされがちですが,そうとばかりではありません。体育の授業に偏りがちなこの時期の学習の在り方について見直しができたり、開催方法の制約があったとしても従前の運動会に相当する教育的効果の高い学習の在りについてあらためて検討できたり、我々教師にとって色々と学ぶべきものがありました。
*運動会の目的は,
1)体育の学習を通して自主的・自発的に運動に親しむ態度を養う
2)集団活動を通して豊かな人間関係を築く
大まかに言うと,この2点ではないかと思います。この実現を図ることが教育の目指すべきところであり,どのように実施するかという方法論は二の次だと思います。
運動会に限らず多くの学校行事は,本来の目的がぶれないように方法を考えるのですが,学校というところは、これまでのスタイルからなかなか脱却できないということも多くあり,それは反省すべき点でもあります。
*「教育においては【目的には信念を持つが,方法には信念を持たない】」
これは,尊敬する先生から教えていただいた言葉です。
次年度のコロナ対応については、当然不明なのですが,コロナの状況に関わらず「運動会の在り方」については見直しも必要になると市内の校長は考えています。
常識にとらわれることなく行事の意義を優先させる中でその在り方を考えていきたいと思います。
2学期のスタートです(校長だよりNo22)
*新学期が始まりました。本校は山梨県で3番目に児童数の多い学校ですが、夏休み中大きなケガや交通事故といった連絡は1つもありませんでした。う~ん,これって本当にすごいことだと思います。あらためて夏休み中の御家庭での御指導に感謝します。
*新学期のスタート,各クラスで子供たちは「2学期のめあて」や「がんばりたいこと」を,みんなの前で発表したり,教室に掲示したりします。
今日の始業式では,2年生・4年生・6年生の代表が,夏休みの様子や2学期の目標を発表してくれました。始業式がオンラインでのテレビ放送だったのですが発表をしてくれた3人にも,教室からの大きな拍手が届いていました。
緊張しながらも,しっかり発表する姿は立派の一言に尽きます。
*さて,2学期の目標を決める時のお願いとして,「これならできそうだ」と思えることより,「ほんのちょっとだけ背伸びして,ほんのちょっとだけおまけして,ほんのちょっとだけチャレンジしてほしい」と始業式で話しました。目標やめあては学校生活に限ったものではありませんが,新学期を1つの節目として「達成できたらどんなにいいだろう」とワクワクするような目標が立てられることを期待しています。
*それから,「学校はたくさんの友だちと過ごしているのだから,クラスみんなで力を合わせなければ達成できない目標も立てられると良いと思います。」と続けました。この目標は,クラスの一人だけが頑張れば達成できてしまうものではなく,クラスみんなが力を合わせて初めて「うまくいった」と思えるようなものをさしています。そんな目標をクラスみんなで共有してもらいたいと思いました。
さぁ,夏休み(校長だよりNo21)
*いよいよ夏休みを迎えます。ここまで大きな事故や大きな事件に見舞われることなく過ごせたことは,ひとえに保護者の方の御協力御指導によるものだと深く感謝いたします。
*楽しい夏休みに入るということで落ち着きを欠いてしまうことがないようにと願っています。長期の休業や卒業前など子供たちの中に落ち着きのなさが感じられることが時にあります。
こんな時,普段なら決してしないような失敗をしてしまう子も出てきます。例えば,ガラスを割ってしまったり,自転車で転んでケガをしたりなどといったこともそうです。
*「自転車や飛び出しによる交通事故,万引き,不審者との遭遇,火遊び等々。」こうした注意を何度も子供たちに話しています。自転車の二人乗りや危険な遊びなどはよその子であっても厳しく注意をしてほしいと思います。
夏休みはとかく開放的な気分になりやすい時期ですのでお家の方にも手綱を締めておいてほしいと思います。夏休みの課題をしっかりと仕上げたり,思い出をつくったりすることも大切ですが,まずは健康で安全に過ごすことが何よりも優先される休みであって欲しいと思います。
*また,年齢が上がるにつれて自立心が育ってきます。
その自立心が発達しているからこそ,物やお金のトラブルが起きることがあります。
以前ある先生から『何か心の乱れがあると,持ち物に変化がある』と教えてもらったことがありました。そういう意味では,子供の持ち物にいつも注意を払っておいてください。小遣いの範囲を超えるような小物が増えている時などは要注意です。
自由な時間がぐっと増える夏休みだからこそ細やかな目を向けて欲しいと思います。
そして,何ものにも代えられない命を大切にする,大切なことは繰り返し,繰り返し御家庭でも伝えてください。
引き続き御協力お願いします(校長だよりNo20)
*まずは,コロナ陽性となって苦労されている御本人及び御家族の皆様にお見舞い申し上げるとともに,一日でも早い回復をお祈りいたします。また,学級閉鎖の措置に伴い御協力いただいていることに感謝いたします。あわせて,今般の閉鎖措置等について不要な憶測や中傷といったこともなく、感染された方がある程度特定できていたとしてもその御家族のことをおもんばかっていただいていることに深く御礼申し上げます。
*県下の学校でも7月初旬とは比べられないくらいのコロナ感染の広がりに驚いています。本校でも学校関係者の感染が確認されたために,3年生,4年生,6年生の1クラスを学級閉鎖としました。(これを読まれている頃にはまた状況が変わっているかもしれませんが・・・・。)
*ところで,インフルエンザとコロナでは「学級閉鎖等」の扱いに大きな違いあります。
インフルエンザではクラスの何割かが感染状況にあるという広がりもって学級閉鎖・学年閉鎖・臨時休業等の措置を取ることとなっています。例えば,「クラスで●人以上,インフルエンザに罹患したので学級閉鎖にする」と言った具合です。しかし,甲斐市では現在令和4年4月14日付け甲斐市教育委員会からお知らせした通知のとおり,コロナ感染に係る「学級閉鎖等」の措置については次のようになっています。
「感染者(1名でも)の報告があった際,その学級は下校させ、すみやかに学級閉鎖1~3日の措置をおこないます。」
ですから,今回の場合も単に感染者数の多さではなく「(1名であっても)感染があった」という事実に基づいての閉鎖措置となったわけです。
*本校に限ったことではないでしょうが,感染された方の話を聴くと,家に帰るまでは朝から元気だったけど,夕方から急に発熱をして・・・という事例が少なくありません。学校でも体調の変化には充分留意しますが御家庭でも御配慮いただければ幸いです。また,子供自身が「体調が悪くなった(困ったことがあった)」と感じたら自分自身の口でそれが担任に伝えられることも育てたい力です。感染防止とともに引き続き御指導御協力をお願いします。
時間のかかること(校長だよりNo19)
*ある教育書の一節です。
『(前略)3年生を担任している。初めての子供たちだ。先日第1回の学級会があった。「雨の日に持ってきてもいい遊び道具」が議題だった。トランプ,将棋,ゲーム,マンガ・・・・・。いろいろな意見が出た。私は教室の隅にある席でそれを聞いていた。採点をしながらである。
教育とは時間のかかるものだ。子供たちの混乱,戸惑いをじっと待つ時間も必要となる。3年生の子供たちが「雨の日に持ってきてもいいもの」の候補を並べるだけで1時間近くが過ぎ去った。時間が足りない。誰かが言った。「先生に決めてもらおう」2人を除き大部分が賛成した。反対した2人の子は,いつも少数派の子だった。私は何度も念を押した。「本当に先生が決めてもいいのですね。後悔しませんね。」子供たちは「それでいい」とのことだった。
私はゆっくりと言った。「全部ダメです。」
「これが先生の意見です。後悔しないと言ったのですから後悔しないでください。」教室はシーンとなった。
次の週,再びこれが議題に取り上げられた。「先生が決めましょうか」と聞くと「ダメです。自分たちで決めます」との大合唱であった。このように一つ一つ自立させていくのも教育なのである。』
*本に書いてある『教育とは時間のかかるものだ』の言葉が響きます。大人がしてしまえば簡単に済むことを私たち教師はあえて子供の手に委ねることがあります。時間がかかろうが,手がかかろうが,自らの手によって成し得たことの方に大きな実りがあることを知っているからです。
*さて親としての自分はどうだったのだろうか,娘2人がいるが「時間がかかる価値ある道」を選んでいただろうか。子供ができることを取り上げたり,代わってやってしまったり・・・。校長などと偉そうにしても,家庭の父親としては,どうにも,こうにもお恥ずかしい限りです。
学校雑風景(校長だよりNo18)
*熱中症が心配されるこの時期,学校では運動時にはマスクを外すよう指導を続けています。集団登下校時も同様です。しかし,炎天下であっても自然とマスクをつける子が少なくありません。コロナウイルス感染症が世間を賑わし始めた頃からの「マスクをきちんとつけましょう」という指導の賜(?)かもしれませんが,熱中症対策をまずは優先させていきます。
*熱中症予防として子供たちには日傘も推奨しています。日傘用の傘でなくてもよいかと思います。実際,雨傘を利用して登下校している子もいます。また,ネッククーラー等の名称で販売されている「水に濡らすだけで首もとを冷やす熱中症対策グッズ」を利用している子もいます。教室は基本クーラーで環境調節をしていますが登下校時などは上手く利用すると良いかもしれません。ただし,もたせる場合は授業の妨げにならないようよく言い聞かせてください。
*先日の誘拐予告メールについては何事もなく胸をなで下ろしています。曜日の関係で4~6年生については授業の一コマ(45分間)を急遽切り上げ帰すこととなりましたが,御協力に感謝します。安心メール発信の時刻が時刻なだけにその時点で確認ができなかった御家庭も多いことだろうと思います。学校としては「早く帰すのは良いけれど、家に入れなかったら・・・・」を心配しました。
また,そもそもお家の方がお仕事中で安心メールの確認ができていないかもしれないということも心配しました。そこで,4年生以上には「45分早く帰ることで,家には入れないなど困ったことはありませんか。」と子供に聞き取りをして,心配だという子供の保護者の方には個別に電話で確認をさせてもらいました。お電話での対応もありがとうございました。今後も色々なケースが生じる可能性がありますが引き続き御協力願います。市内小中学校は,これからも子供たちの安全を最優先とした教育活動に努めていきます。
この機会に(校長だよりNo17)
*6月27日(月)から個別懇談が始まります。「子供の健やかな成長のために担任と保護者が共通理解を図る」というのが目的となります。短い時間ですが有意義な時間になるとよいと思います。御協力をお願いします。
*学校で過ごす時間だけでなく,家庭にあっても,お子さんの成長,学習理解度,性格行動,登校渋り,障害等の疑い,こころの問題 など御心配なことがありましたらぜひこの個別懇談の機会に御相談ください。本校のスクールカウンセラー,甲斐市の相談窓口やカウンセラー,県の相談窓口等を御紹介できます。相談には予約が必要となりますが基本経費はかかりません。
*「教育相談」というととかく敷居が高いイメージを持たれるかもしれませんが,決してそんなことはありません。複数の相談窓口を上手に利用されている御家庭もあります。専門的な立場から御案内いただけるだけではなく,私達教師が「その子に対して,どのように指導するのが効果的なのか」を学ばせてもらう機会にもなっています。
*個別懇談の折りには
「子供の健やかな成長のために」担任から保護者の方にお願い等をさせていただくことがあります。(恐縮です)
「子供の健やかな成長のために」学校(担任)への要望も是非してください。(遠慮無く)
ともだち100人できるかな。(No16)
*小学校では,さまざま場面で子供たちがグループになって活動をします。代表的なものがクラスでの「生活班」と呼ばれるものです。4~6人ぐらい男女混合で編成し,多くの学級がこの班をもとに集団での自治活動に取り組んでいます。係活動であったり,掃除であったり,グループ学習であったり・・・・。色々な場面でこのグループをもとに活動をしています。「班替え」は,学期始めの1つのイベントになっている感じさえあります。
*することが決められた班活動とは別にグループをつくる場面もあります。例えば,遠足に行ったときにお昼を食べるなどといった場合です。
「それでは,これからお弁当の時間にします。自由にグループをつくって食べましょう。独りぼっちの人がでないように声をかけあってくださいね。」
どこにでもある光景です。しかし,お弁当を食べるわずかな時間であっても「誰と食べるのか」は子ども達にとっては大きな関心事となります。そして,子供によってグループづくりの傾向に少し違いが見られるような気がします。
あるタイプは,自由なグループをつくるときその時々でそのメンバーが替わることが多いように感じます。たまたま近くに居合わせた友達と「一緒に食べよう。」「そうしよう。」となるようなタイプです。あまり同じメンバーに固執しないのが特徴であるとも言えます。このタイプは「誰と食べるか」より「どこで食べるか」の方が関心事になっているのかもしれません。
もう一つのタイプは「どこで食べるか」よりも断然「誰と食べるか」を気にするタイプです。
友達関係に敏感ですが,その人間関係に逆に縛られて身動きがうまくとれなくなってしまう時もあるかもしれません。
*♪ともだち百人できるかな♪を口ずさみ,入学してきた子供たち。学校生活の楽しさは時として,ともだち関係の安定のもとにあります。ともだち関係が不安定だと学校生活のすべてがつまらなく見えてしまうこともあることでしょう。双葉東小の子供たちには,小学校という時期において良いともだち関係をたくさん築いてほしいと願っています。
*ある本に次のような言葉が載っていました。
『よい友情とは,対等な関係のことです。やりたいことを一緒に決められる。何でも平等に分かち合うことができる。お互いに信頼しあえる。どんな問題も,力を出し合って一緒にのりこえられる。いいときも悪いときも,たよりあえる。』
ここまで読んで,フムフムなるほどと思えたのですが,締めくくりとなる最後の1つが難しいと思えました。これは,年齢が上がれば上がるほど難しいのだろうな,と思えました。
最後の1つは,次のとおりです。
『それぞれが,ほかに友達を持っている。』
どうでしょうか。
よりよい自己イメージを(No15)
*昔から「七つほめて三つしかれ」と言われています。
しかし,身の回りのことを考えても自分自身のことを考えても,日本人というのはどうもこの「ほめる」というのが下手なように思えます。むしろ,時として「けなすこと」「悪く言うこと」を美徳だと考えられているのではないかと思う節さえあります。例えば,身内の紹介をするときにも「出来が悪くて・・・」などといった断りをまずつけてから話すのもそうしたことのあらわれかもしれません。
*「弱いから負けるのではない,負けるから弱くなるんだ。」とは,相撲の二子山親方の言葉です。
敗者というのは生まれつき敗者として生まれてきたのではありません。失敗を重ねることによって,劣等感を持ち,それが貧しい自己イメージとして育ってしまった人を敗者というのです。ですから,子供を敗者にするのは簡単なことです。
子供が描いた絵や字,テストなどを見せに来たら,あら探しをして批判だけをすればよいのです。
*外国の映画などを見ると父親が自分の子供を紹介するのに
「どんな長所を持っているのか」
「自分の子供がどんなに素晴らしい人間であるのか」を話す場面を目にすることがあります。
文化の違いでしょうがとても良い習慣だと思えました。ほめられて悪い気がする人はないからです。
そして,ほめられることによって,子どもは良い自己イメージを持つことが出来るようになります。
*子供のころ,幼稚園の園服をマントにしてヒーローごっこをした経験がありませんか。
まるで,主人公になった気分で飛び回ったような経験のことです。当たり前のことですが,その人の中味は何一つかわっていません。では,マンガの主人公のように振る舞える原動力とは一体なのでしょうか。
それは,自分自身に対する「イメージ」が変わったということです。
人間の性格と言われているようなもののほとんどは,こうした自己イメージによって形成されるように思えます。
*双葉東小では子供自身の自尊感情をいかに高めていくかということを大切に考えています。
担任はもちろんですが,担任以外が積極的に子供の良さを見つけて声かけをするよう努めています。
自分を大切に考え,愛おしく思う気持ちを育てようというものです。家族同士というのはちょっと照れくさい面もありますが,まずは身近なところからの声かけ,賞賛をお願いします。
水と正しく付き合って(校長だよりNo14)
*6月9日(木),全校の先陣を切って5年生がプールに入りました。さすがは高学年,騒いでしまいそうなシチュエーションにもかかわらず,教師の指示にしっかりと従って授業を受けていました。(林間学校取組の賜でもありますね)
*考えてみたらコロナ禍のため,1年生のみならず,2年生・3年生も学校での水泳学習は今年が初めてとなります。全児童の半分が「初心者」マークです。そんな中,初心者組最高学年の3年生は来たる日に供えてプール学習のオリエンテーションを行っていました。プールサイドに実際に立ってプール学習の一連の流れを全員で確認したのです。
いわゆるイメージトレーニングに基づく確認のための時間です。水泳学習に限らず,こうしたお膳立てとも言える時間が小学生にはとても大切です。(その分,教員はエネルギーを使いますが)こうした指導は,小学校の学習が「子どもを丸ごと見る」と言われるゆえんでもありますが,こうした細かいステップを踏ませることで肝心な時に大きな混乱はグッと減ります。
*さて,水泳学習は,大きな声を出す活動,接触等をできるだけ避けながら,水に親しむ活動を中心に安全第一で指導をします。これまでなら学年全員で水泳学習を行っていたわけですが,感染症予防対策を講じた上での授業となります。本校では次のようなことにも留意しつつ授業を進めます。
・着替えの時間やプールサイドへの移動などはマスクを着用します。 ・学年一斉の授業ではなく,学年を大きく2つのグループに分けて実施します。 ・シャワーを浴びる際には「無言」(キャーキャー言わない、これがなかなか難しい) ・間隔を確保しつつ,プールの中は一方通行とします。 ・(残念ながら)自由時間は設けません。 ・小プールは狭いため,低学年の授業に対応出来るよう大プールの水位は30cmほど下げます。 ・教師は必要に応じてプールマスクを着用して指導にあたります。 等々.
*夏休み中のプール開設はありませんので,学校でのプール体験は多くてもせいぜい3回前後になります。本来ですと,泳力テストをしたり,着衣泳を経験させたり,流れるプールや波をつくって楽しんだりするところですが・・・・・・。
*上手く付き合えばとても楽しい水(遊びや学習)ですが,間違った付き合い方をするととても危険なものとなります。台風や大雨による増水,川や溜池などの禁じられた遊びなど,学校では折に触れて子供たちに学ばせています。どうぞ,家庭においても【水との上手な付き合い方】を教育していただけますようお願いします。
御来校ありがとうございました(校長だよりNo13)
授業参観での御来校ありがとうございました。教室での子供たちの様子はいかがだったでしょうか。参観が20分だけでは物足りなかったと思いますが,学校に日常が少しずつ戻ってきていることを感じていただければと思います。保護者の方同士でも「久しぶりに顔を合わせた」なんてことがあったのではないでしょうか。
*授業参観は,当然自分のお子さんに目が向くはずですが,お子さんがどんな学級の中で,過ごしているのかも見ていただけたことかと思います。【うちの子,よその子,東の子】を合い言葉として,お子さんと共に学ぶ集団にも興味を持っていただく機会になったとすれば幸いです。
*これから本格的に暑くなります。市内校長会・市教委委員会との確認も有り,運動中のマスクは、原則として外す指導を行っていきます。ちょっと前なら無かったことですが,今は熱中症の危険がある場合,休み時間の外遊びも禁じることとなっています。プール学習でさえ,熱中症が危惧される場合は,実施しません。「暑い日なんだから,プールにはもってこい」というのは,すでに昔の考え方になってしまうのですね。
*健康観察アプリ「リーバー」に6月8日(水),不具合がありました。運営会社に確認したところ,学校ではどうにもできない事態であったことが分かりました。学校では,リーバーの確認ができなかった子供については,朝のうちに担任が体温を確認し授業にうつりました。保護者の皆様には、早朝より御心配をいただいたり,電話にて御連絡をいたただいたりと大変御不便をおかけしましたが,御協力に感謝します。
よろしくお願いします(校長だよりNo12)
*6月4日(土)は「土曜日学校」です。すでにお知らせした通り,全学級で道徳の授業を参観していただきます。また,同日,4年生・5年生の保護者を対象にした「情報モラル教育及び子どもをインターネットの危険から守る(スマホフィルタリング)」と題した講演会を催します。今のところ当日の日程に変更はありません。御来校の際,感染対策への御協力をお願いいたします。
*授業参観は
【前半:午前9時30分から9時50分】
【後半:午前9時55分から10時15分】
となっています。
教育講演会は10時30分から体育館で行われます。
授業を参観していただいた方(教育講演会に御参加いただける4年生・5年生の保護者の皆様)は,体育館に移動を願います。前半の方には,少しお待ちいただくこととなりますが御容赦ください。なお,繰り替え休業日は6月6日(月)です。世間は平日となっています。安全に過ごせるように御家庭での御指導もお願いします。
*さて,参観していただく授業は,道徳となります。授業の前半・後半という参観形式なので,授業全体を見ていただくことはできませんが,各教室入り口に,授業のあらましを記した【リーフレット】を準備いたします。このリーフレットの提供は,長いこと【心の教育】を柱に培ってきた本校教育活動の文化の一つであると思っています。授業のねらいや教師の願いをそこには記してあります。参観の時に授業に合わせて御覧ください。また,御家庭に戻ってからお子様との話題の一つにしていただければ幸いです。
*当日は,学校評議員の方にも御来校をいただくこととなっています。学校評議員とは学校評議員制度に基づくもので本校では6名の方に御協力をいただいております。制度の趣旨は「学校・家庭・地域が連携協力しながら一体となって子どもの健やかな成長を担っていくため,地域に開かれた学校づくりをより一層推進する観点から,学校運営に関し,本校の教育に関して造詣の深い方から多様な意見を聞き,学校の教育活動の向上を図る」というものです。保護者の方と共に,道徳授業を参観していただく予定です。
長い習慣のせい?(校長だよりNo11)
*市内の学校は,コロナを正しく恐れつつ,日常の学校生活を少しでも取り戻そうとしています。その一つである音楽活動の再開については「校長だよりNo10」でもふれました。これまで何か物足りない感じがしていた朝の時間ですが,教室から子供たちの歌声が聞かれるようになりました。あらためて歌声って良いなぁという「学校らしさ」を感じました。
長い習慣に基づきますが,「朝の会と言えば元気な歌声」が自分の定番(!)だったからでしょう。
*体育の時間,クラブの時間,朝の草取り作業の時にこんなことがありました。マスクをつけて,跳んだり走ったりするのは容易なことではないので,身体を動かす際には,基本的には,熱中症対策としてマスクを外す指示を教師はしています。学年にもよりますが,担任から「息苦しくならないように,マスクを外しましょう。」といった声かけをしています。月曜日の朝の草取り作業の時にも,作業を始める前に,全校放送で「作業中は,マスクはつけなくて良いです。その代わりおしゃべりはしないようにしましょう。」と案内をしました。もちろん,その一方で,子供たちの中には,マスクを付けていたい人もいると思うので,それも認めています。
*「やったぁ,鬱陶しいマスクを外して身体が動かせる!」と多くの子が望んでいるのかと思いきや,意外や意外・・・・マスクをつけることを選ぶ子の方が多いのです。長いことマスクをつけることが習慣付いてきたためでしょうか?
*これからますます暑くなるので,マスクの着脱についてはその都度,確認して子供たちに指示していきます。学校は,熱中症対策を優先に考えます。単純に言えば,「コロナより命」となります。でももしかすると,「感染予防とは別に,マスクをつけていたいという」心理もはたらくのかもしれません。ここ数年の長い習慣のせいでしょうか。
当面の学習活動の在り方について(校長だよりNo10 )
*コロナ禍の教育活動について,甲斐市内の学校16校は国・県・甲斐市のガイドラインに沿って進めています。現在,5月31日までは甲斐市の地域感染レベルは2相当とされていますので,「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル」で定める地域感染レベル2に準じて授業等も行っています。
*ちなみに,昨年度アナウンスされたコロナ感染症予防対策である【新山梨方式】(陽性者が出たら原則,学級全員検査)は,実施されませんが,甲斐市としては,「陽性者が出たら,原則学級閉鎖」(曜日等によって閉鎖日の態様は様々)は,施行されています。
*教科によって受ける制限は様々ですが,音楽・体育は教科の特性からいっても,授業内容の制約は大きいものになります。市内校長会では,教育委員会と協議したり,中北保健所から御指導を受けたりする中で少しずつ学習の幅を広げていこうと考えています。また,熱中症予防対策のために運動や登下校時のマスク着用の在り方についても市教育委員会からの指示を受け,職員で確認をしました。次の内容は,校内で確認したこととなります。
○合唱,リコーダー・鍵盤ハーモニカの演奏について(「レベル2」の中での留意事項)
・「換気」は授業前に必ず準備を整え,授業全時間中行う。→これが重要
・マスクは合唱では全て着用,楽器は演奏時のみ外す。
・座奏か立奏は統一する。(高低差をつけないで)
・一つの活動は短時間(15分以内を目安)で行う。
・楽器の片付け(つばふき・歌口を外す等)は静かに行い,授業終了後必ず石けんで手洗いをする
・朝の会での歌も上記の点(マスク,換気,距離や同一方向等)を心懸けて行う。
・前後1mの距離を空け,対面にならないようにして演奏する。
(教室で行うときは一列おきに演奏する,楽器を演奏しない列の時はマスクを着ける等の工夫をする)
○運動や登下校時のマスクと熱中症への注意喚起
*熱中症予防を最優先とし必要に応じてマスク着脱の指示をする
・気温上昇時に体育など運動する際は,マスクを外し,近距離の会話は控えるよう指示する。
・身体的運動を伴う活動(特に体育)では,児童の体調を十分に確かめる。
・運動前,休み時間の前など,一口水を飲むよう指導する。(とても大切です)
・登下校時気温が高い場合は積極的にマスクを外し,友達との会話を控えるようクラスでも指導する。
*熱中症が心配される時期にあっては,登下校時,子供たちがマスクを外して歩いている姿を見かけることがあるかもしれませんが,これは学校での指導によるものです。お家の方からも一声かけくださると助かります。
学校雑風景(校長だよりNo9)
*暑い日がこれから続きます。お家の方もそうでしょうが,「いついかなる時もマスク」という生活が相当辛くなってきます。国の専門家組織は過日「マスクを外しても感染リスクが高くならない場面についての見解」をまとめました。まだ正式に国や県(市)からは,まだ指示等はありませんが,体育の授業など,担任の指示のもとマスクを外して活動しています。コロナ同様見えない脅威である熱中症への対策となります。
*どこの学校でも,時折,地域の方から苦情を申し入れられることがあります。
その中には,子どもたちの遊び,つまりいたずらや危険な遊びに関するものがあります。
以前勤めた職場で放課後に
「学校では,石を投げること教えているのかぁ」
と年配の方に電話口でまくし立てられたことがありました。石を投げて遊んでいた子ども達の石がその方のお宅に飛び込んだのです。
「学校でそんなこと〈石投げ〉を教えるわけはありませんが・・・。」
と当然,説明するのですが,苦情を申し入れた方がそれですんなりと納得をする例は皆無に等しいというのが実状です。
*いつの時代も学校は,子ども達に登下校の安全について指導しています。危険な遊びをすることがないように指導しています。また,本校は,車の往来の激しい地域であるので自転車の乗り方も十分指導していきます。ただ,学校だけではどうしても行き届かない点もあろうかと思います。
お家でも一声かけて頂けますよう,お願いします。
修学旅行道中記(校長だよりNo8)
*「つかれた~」「楽しかった。」どんな声とともに子供達は帰ったでしょうか。そして,帰りのバスの中で「毎日が修学旅行だといいなあ。」といっていたのは誰だったでしょうか。きっと,多くの子が同じ気持ちだったのだと思います。
*今回の修学旅行の目玉は「グル-プでの鎌倉散策」ではなかったでしょうか。この鎌倉散策を成功させるために子供達は多くの時間を費やしてきました。当日を迎えるまで苦労を重ねてきただけあってすべてのグルーが安全に見学をすることができました。
*散策中,少しのトラブルはあったかもしれませんが,それはケガや病気といったことではなく『いつか笑い話』になるものばかりだったことでしょう。またどのグループもメンバー内で仲違いといったことはありませんでした。子供達なりに励まし合いながら散策を行うことができたこと,協力できたことは大変素晴らしかったと思います。6年生にとってよい財産がまた一つできました。
*さて,修学旅行は宿舎で過ごす時間も子供達にとっては大きな意味があります。「なかなか眠れない」「朝は,4時頃に起きてしまった」「10分しか寝ていない(?)」などなど。それは単に枕が変わったからではなく「楽しくて,楽しくて仕方がない」ことのあらわれでしょう。友達の良さを再発見できた子も多かったことだと思います。
*バスの中での過ごし方も◎でした。『コロナ対策に関する約束事をみんなが守り,みんなで楽しく過ごそう,その為に自分も協力しよう』という気持ちが感じられました。バスレク係の奮闘やそれに協力する子供たちの頑張り,バスの中でも楽しい時間を共有することができました。ガイドさんの話もしっかりと聞くことができました。あらためて6年生の良いところをたくさん発見することができた気がしました。
*3日間,子供達はどんなことをつかんでくることができたのでしょうか。修学旅行の成果はこれからの生活にあらわれてくることでしょう。修学旅行の成否はそこにあるような気がしてなりません。
修学旅行に行って参ります(校長だよりNo7)
*5月11日(水)から2泊3日の日程で修学旅行に出かけます。6年生が決めたテーマは『114人で協力し 一番楽しい最高の思い出をつくろう』です。
*今年度の修学旅行も,コロナ感染症予防対策を講じて実施いたします。見学地として東京方面は除外し,神奈川県・静岡県を見学地として計画をしています。6年生自身もその保護者の方も少しでも,当日安心して参加できるよう,過日開催いたしました説明会では,感染症対策について丁寧にお話させていただきました。説明させていただいた本校での感染症対策,旅行業者によるバス等での予防対策,宿泊ホテル及び各見学地の予防対策をしっかりと御確認いただき,最終的には御家庭からの旅行同意書をもって,参加・不参加を決めていただくことになっています。旅行中のみならず旅行前・旅行後にも御配意いただくことが多く,新しい生活様式下での学校行事を感じずにはいられません。
*この時代バーチャルに何でも体験できるようになりました。また,滅多に見ることができないような貴重な映像もお茶の間でお気軽に見ることができます。こうしたことは,「便利さの追求」として益々加速していくことと思います。どこにいても,安易に手に入る,大げさな言いようですが我々人類が追い求めてきたことのひとつだと言えます。
*その一方,実物を見たり,実物に触れたりする体験は何事にも代えがたいものです。鶴岡八幡宮に続く段葛が見事な遠近法によって構築されていること。水中から高く飛び跳ねるイルカが実に大きいこと。間近で見る建造物が先人の知恵の宝庫であること。こうした実体験を通したことは深く記憶に残ります。安易に手に入ることとは大違いです。友だちと過ごした楽しさだけでなく『最高の思い出』には,こうしたことも含まれるのだと思います。
*修学旅行の目的やその教育的効果は数多くありますが,一言でいうならば【集団がお互いを高め合える絶好の機会】であると思っています。思い出づくりもありましょうが,その取組の過程も含めて机上では学び得ない価値があると思います。
だからこそ,「修学旅行が楽しさを提供してくれる」のではなく,「楽しい修学旅行にするために自分は何ができるのか」そうしたことを考えられる6年生であってほしいと思います。ぜひとも【学び】のある学校行事にしたいと思います。
あたりまえの行動(校長だよりNo6)
*4月が終わりました。新年度からはまだ一ヶ月ですが,2022年はもう三分の一が過ぎたことになります。早いものです。
*さて,「一年の計は元旦にあり」新しい年明けとともに,子供たちはどんな夢を描いていたのでしょうか。そして,その夢に向かって毎日過ごすことができているでしょうか。自分が子供の頃,そんなことは頭の片隅にも残っていなかったように思います。次の祝日はいつだろう(笑)などと考え,ゴールデンウィ-クも過ごしていたはずです。
*ここで一段ギアを切り替えてみませんか。そのためには,大人の導きが不可欠です。どうぞ,お子さんに元気の出る一言をお願いします。幸い(!)この一年はまだ三分の二も残っています。
*巷では「コロナ疲れ」「コロナ慣れ」などという言葉を耳にします。同時に『変異株』と言った言葉と共に,感染者が増えている、感染者数の高止まりというニュースを目にします。学校の過ごし方についても御心配をいただくことがあると思いますが,国が示す新しい生活様式,甲斐市が定めたマニュアルに沿って教育活動を進めていきます。あわせて「あたり前のことをあたり前にできる」子供を育てられるよう努めて参ります。
*『あたり前の行動』は,何も感染症対策に限ったことではありません。名前を呼ばれたら返事をする,挨拶をする,言葉遣いに気をつける,世の中のきまりを守る(学校にあっては『学校のきまり』)人に親切にする,自分を大切にする・・・・数え上げたらきりがありません。こうしたことを学ばせたり,諭したりしていきます。これは,学校で学ばせる分野もあれば,家庭が受け持つ部分もあると思っています。
*自転車の乗り方,お金の使い方,ゲームをする時の約束などは,家庭教育の範疇だと思っています。一方,集団で学びを共有する中で子供を成長させるのは,学校の得意分野だと思っています。しかし『あたり前の行動』の多くは学校とか家庭とか関係なく身につけさせたいものです。そういう意味でも保護者の皆様とは子供を中心として同じ方向を向いていたいと思います。少し気取った言い方をするならば,子供の教育に関して家庭とは同じベクトルを持っていたいと思います。
大切なことは繰り返し,繰り返し(校長だよりNo5)
*いよいよゴールデンウィークを迎えます。「やったぁ,連休だぁ。」と喜ぶ反面,「学校が休みでしばらく友達(先生)と会えなくて淋しい」と思う子もいるはずだと信じています。(学校が、どの子にとっても,そういう場所になっているといいなと思います)
*さて,休みを迎えるにあたって,どの学級でも命の大切さを子供たちにあらためて担任が伝えたことかと思います。
交通事故,水の事故,耳にする度にドキッとします。
「自転車に乗るときには,ヘルメットかぶるんだよ。」
「危ない場所には行っちゃダメだよ。」
「愛の鐘の放送は,家で聞けるように帰ってくるんだよ。」
おそらく,多くの方がこうしたことを毎日口にされ、多くの子がそうした言いつけを毎日守っていることかと思います。
*しかし,中には,「(何度も,何度も)そんなこと,言われなくても分かっているよ。」という態度を見せる子もいるかもしれません。(それはそれで成長途上の良くある反応と言えますが)そうした態度を見せる子であっても,大切なことは繰り返し,繰り返し伝えたいものです。そのしつこさも愛情であるような気がしてなりません。
*教職員向けのある雑誌に次のようなことが書かれていました。
「さて,みなさんに質問です。『バトロワ』『ラグい』これ何のことか分かりますか?『ステマ』『アフィリエイト』『Vチューバー』『スパチャ』はどうでしょう? 子供たちが良く発する言葉からその学校のネット事情が分かります。子供たちが学校の廊下や昇降口で口々に『ラグい』を発していたら、それはオンラインゲームをしている子供が多い、イコール夜遅くまでゲームをしているかもしれないと,推測できます。」
*これらはネット言葉だそうですが,私は一つも分かりませんでした。ネットゲームが抱える問題は言うまでもありませんが,双葉東小の子が悪い深みにはまっていないことを願います。コロナ禍のせいで,戸外で遊ぶことが減ったことも少なからずその原因となっているのでしょう。バーチャルな世界に浸ることで,モノの価値やお金の価値が麻痺してしまうことが,とても心配です。こうした危うさも,大人の使命として,繰り返し,繰り返し伝えたいものですね。
敷居は低く(校長だよりNo4)
*授業参観への来校,ありがとうございました。コロナ禍のもと分散型での参観を依頼したところですが御協力に感謝いたします。子供とともに保護者の皆様の様子も拝見いたしましたが,静かに参観をしていただけたことに重ねて感謝申し上げます。
*例年ですと,授業参観に引き続き家庭訪問を実施するところです。この家庭訪問を通じて1学期の早いうちにお子さんに関する個別な相談も承れるところですが,予定では個別懇談を6月に実施することとしています。お子さんのことで何か御心配な点などがありましたら、個別懇談を待たずに遠慮なく御相談ください。
*とかく,学校というのは「敷居が高い」というイメージをもたれがちですが,お子さんを共に教育する「共育者」同士ですのでお気軽にお声かけください。
学級を組織する
*学年はじめの1週間は,やらなくてはならないことが山積になっています。
その中でも一番大切なのは,学級のルールや組織をつくることです。
小学校の教育が中学校などのそれとは決定的に違うのは,「子どもをまるごと見る」という発想であるかどうかという点だと思っています。
ですから,給食の片づけ,掃除の仕方などといった些細なことも小学校では大切な教育内容のひとつになります。
クラスや担任がかわったばかりの時には特にこうした学級のルールは,始めにきちんと決めておかないとなりません。
例えば,
給食の時,どんな配膳の仕方をするのか?
テストが早く終わった人は何をやっていればよいのか?
教室掃除でごみ捨ては誰がするのか? などなど・・・。
こんな事でさえ,時には問題になってしまうことがあります。
それら一つ一つについて担任は,時間をかけて丁寧に子供たちと確認をしていきます。
「もし,担任が出張等で学級を一日留守にしたらどうなるか?」
こうした想定をして,朝の登校から下校までを考えるとどんなことを決めておけばよいかが取りあえず見えてきます。
これらは決して管理ではなく,あくまでも学級を住みやすいものにするためのルールです。
頭を強く鍛えていく(校長だよりNo3)
*4月19日(火)全国一斉で「全国学力・学習状況調査」が実施されました。対象は6年生,学力調査に係る教科は「国語・算数・理科」の3教科となります。
全国学力・学習状況調査は,文部科学省が日本全国の小中学校の最高学年(小学6年生,中学3年生)全員を対象として,学力・学習状況の調査を目的として行う学力調査となっています。 この調査は2007年より実施され,学力を問う出題だけでなく,児童生徒の学習環境や生活環境のアンケート調査も行います。
*8年ほど前になりますが,文部科学省に出向いてこの調査について詳しい説明を受ける機会がありました。同様の調査を世界の各国で行っているわけではないので,一概に比べることはできませんが,日本の子供の回答の特徴がそこでは紹介されました。印象的だったのは,わからない問題があったときに日本の子供は【無回答】であるケースがとても高いと言うことでした。これにはどんな意味があるのでしょう,「難しそう・・」と感じたときに手をつけることを躊躇する,間違えることを嫌う,そんなところでしょうか。
*ある方に教えていただいたことです。
頭を強く鍛えていく
*『日本では頭がいいということを,頭の回転が速いという意味で使っているが,頭の良さというのにはもう一つある。それは頭が強いということである。』
*『頭が強い』とはいったいどういうことを指すのでしょうか。
ここでいう『頭が強い』というのは,とことん考え抜く,簡単にはギブアップをしないという集中力の度合いの高さをあらわしたものです。これはおかしいとか,よくわからないとかいうことがあったときに,そうした自分の疑問をいつも心のどこかに止めておき,諦めることなく考え続けられるという集中力の持ち主を『頭が強い』というわけです。
*双葉東小では,家庭での学習時間として,学年×10分+10分 を子供たちに課しています。毎年積み上げていますが,まだ家庭での学習習慣がしっかりと身についていない子も多数いることかと思います。まずは,少しずつ少しずつ積み重ねていきましょう。
*お家の方にはそういった目で家庭での学習を見守ってほしいと思います。親が子供の代わりに学習することは出来ません。親が出来るのは,まずは子供が集中できるような環境を整えてやることでしょう。ですから,TVをみながら学習しているようなとき,約束したゲームの時間をオーバーしているようなときには,親としての権威(?)を十分に生かして叱ってあげてください。好きなTV番組もみるけれど,好きなゲームもするけれど,学年目標の時間くらいは集中するといったメリハリのある習慣をつけることが何よりこの時期は大切であるような気がしてなりません。
「天才とは異常なる集中力である」
何事にも集中力を持ってことにあたれる子供であってほしいものです。
学校雑風景(学校長だよりNo2)
*休み時間、大勢の子が校庭で遊ぶ光景は圧巻です。学年毎,校庭の使い方については,おおよその区分けはあるものの、あれだけ多くの子供が走り回り、あれだけ多くのボールが飛び交う学校はそうないはずです。大きなケガがなければ良いなぁと願う一方,こうした環境の中に身を置くことで危機管理能力も育っているのかもしれません。以前この学校に勤めていた時には,6年生を担任し,良く一緒にサッカーをしていましたが,一つのゴールを複数の学年で共有していたことを思い出しました。ゴールキーパーが4~5人はいましが,不思議とケガはなかった気がします。自分以外の人を意識するということも大切な学びのような気がします。
*さて,校庭にはたくさんの子がいますが,チャイムが鳴ると一斉に下駄箱に向かって走り出す子もたくさんいます。「楽しすぎて」切り替えができないことが子供の世界では往々にしてあるものですが,双東の子供の【良さ】をこの姿から感じます。
*小学生の頃,大好きな男の先生がいました。叱るときはとびきり怖かったですが,授業は楽しく,休み時間も良く外で一緒になって遊んでくれました。でも,授業に熱中(?)するあまり授業時間が延びるところだけは好きになれませんでした。時間を守るという子供の思いにきちんと応えられるように私達教師も授業時間などしっかり意識したいと思います。
○おまけの話 ~人の絆はあたたかく~
*先日,ある保護者の方が校長室を訪ねてこられました。新1年生の保護者の方です。(お姉さんも在籍しています)「(竹野に会うのが)懐かしくて・・・・」ということでした。
普通,この場合,「かつて担任していた子が保護者となって,元担任に会いに来る」というパターンなはずですが,元教え子の弟(担任したことは一度もありません)というちょっとイレギュラーな関係者(!)でした。こんな縁もあるんだなぁと思いました。図々しくも
「良い先生だった」と地域の方に吹聴するよう依頼しておきましたが,快く引き受けてくれました。校長室来室保護者第1号,人の絆はあたたかく。
新年度がスタートしました(校長だよりNo1)
○良きスタートを
*双葉東小学校の新しい春がスタートしました。680名の子どもと50名を超える職員。甲斐市ではもちろんのこと,県内の小学校でも有数のいわゆるマンモス校となります。教諭時代に3年間勤めたことがありましたが,私が勤務した学校の中では一番富士山の姿が雄々しく見えます。
○心の教育
*4月1日 職員会議。校長としての所信表明とも言える双葉東小教育に関するグランドデザイン・学校経営について話しました。全国にどれくらいの數の小学校があるか,わかりませんが1000人を超えるマンモス校であっても,離島の小さな学校であっても,公立小学校の教育の柱は「知・徳・体」の3つとなります。知とは確かな学力,徳とは豊かな心,体とは健やかな身体をさします。公立の小学校であれば全国どこの学校に行ってもこの3本柱が示されているはずです。
*お時間あるときに見ていただければと思いますが,双葉東小学校も多分に漏れず,「知・徳・体」の3本柱を掲げています。掲げていますが,この順序が「徳・知・体」としてあります。この柱に軽重はないのですが,心の教育をまず掲げたところに双葉東小学校の特徴があると思います。そんなことを職員と確認しました。
○「感動不感症にならぬこと」
*長く教員生活を続けてきた私は「〔子供が〕そんなことできて当たり前」「もっとできるはず」という考えにとらわれ,その子自身のわずかな成長を見逃してしまうことがあったような気がします。知らず知らずのうちに「できて当たり前」「もっとできるはず」という想いが先行していたような気がします。
例えば,子供が初めて水泳で「15メートル泳げました」と報告してくれたときに,間違いなく私は「じゃあ,次は25メートルだね」と言っていたはずです。
きっと子供は褒められたというより,次の目標を示されたと感じたはずだと思います。
もちろん,次の目標を示すことも教育の大きな役割です。でも,その場は「15メートル泳げたこと」を,手放しで,大げさなくらいに子供と共に喜べる教師でありたかったと今更ながら感じるわけです。
先生方には,「やれば伸びる」の考えのもと,わずかな伸び代を見出せる教師であること,わずかな伸び代を見逃さないプロであることをあらためてお願いしました。
○おことわり(お願い)
*今年度,学校からの校長だよりは,ホームページにて御案内させていただきます。不定期の更新となりますができるだけ学校の様子を校長目線で伝えられるよう頑張ります。時々気にかけていただければ幸いです。