*外国によっては「自分が信じる神の教え」を自分の行動の判断基準にしている所があります。
こんな話があります。ある大きな商談をまとめようと外国の営業マンと話していた時のことです。
商談の中で外国の営業マンが切り出します。
「ところで,あなたは何の神を信じているのですか。」
日本人の営業マンは笑顔で答えます。
「私は,神など信じていません。信仰している宗教もありませんよ。」と。
それを聞くととたんに相手の顔が曇り,まとまりかけていた商談はご破算となったそうです。
*「『信じるものが無い』などという相手は信用がおけない,取引など出来ない」というのがその理由だったそうです。これは極端な例でしょうが,日本人の多くはそうした神を心に持ちあわせていないような気がします。
*さて,「神」はなくてもいつも心の真ん中にあるもの,いつも自分自身を見ていてくれるもの,自分自身を励まし,時に律してくれるもの,行動の価値判断の基準になるもの,それが「自律の心」であるような気がしてなりません。
*「こんなことをすると担任の先生に怒られるからやらない」というのは残念ながら私たち双葉東小の職員が目指す教育ではありません。
私たちは大人の顔色をうかがって行動するような子どもたちを育てたいわけではありません。
大げさにいうと中学生になっても,高校生になっても,そして大人になっても通用していく力の礎を育てたいのです。
*そうした心持ちを「つくる」のではなく「育てる」のです。
もともとその子の中にあったものを伸ばすお手伝いをするだけですから「つくる」のではなく「育てる」というのが正しい表現だと思っています。
迷うようなことがあったときにいつでも正しい判断が出来るような「自律」の心を育てたいのです。
「これはしてもいいのか」と自分に問いかけたときに正しい答えが導き出せるような「自律」の心を育てたいものです。
*先日職員の打合せの中で,5月とはいえ,暑い日もあるので「外遊びをするときには帽子をかぶることを徹底させましょう」ということが話題になりました。
熱中症対策として「活動前に水分を補給する,帽子をかぶる」は必須です。
子供たちも帽子をかぶる必要性は十分理解しているのですが,679人もいると,中には・・・。
*また,先日は地域の方から「遊んでいた子がゴミを散らかして困る」との連絡を受けました。一度各クラスでこのことは指導しましたが,今回は二度目。どうやら同じ場所で同じことが起きています。
*「校庭で遊ぶときは、帽子をかぶるのですよ。」「ゴミは自分で持ち帰るのですよ。」
こうした指導はどのクラスでもします。
担任の先生方にお願いしたのは,素直に教師の指導を聞き入れる子どもの育成も大切だけれど,その時,周りにいた子が「その子に声をかける,そしてその子がそれを受け入れる関係」を学級の中で醸成してほしいということです。
学級集団だからこそ,学校という集団だからこそ「自律」を支え合える仲間であってほしいと思います。