敷中Archives

1947(昭和22)年に新しい学校教育制度が発布され,敷島中学校が誕生しました。
「学校の歴史」にあるように,開校時の敷島中学校は敷島小学校の一部を間借りしてのスタートで,2年後に現在地に新築されました。
このページでは,校舎の変遷をたどりながら,各年代の懐かしい学校風景を紹介します。
 
 
 ・校舎落成式(昭和23年11月23日)
敷島小学校の一部を“間借り”する格好で創立した本校も,この年,現在地に校舎が建設された(式典風景)。
同年,校歌が制定された。 

 

・現存する最も古い航空写真(昭和31年12月)

手前は昭和23年に落成した校舎。後方は昭和31年3月完成の特別教室棟で,後に増築されて旧一号館になる。
学校周辺は田畑が広がり,人家もまばらである。
後に初代校舎は解体され,跡地は校庭となる。

 

・正門での記念撮影(昭和30年前後か?)
前列右から3人目は,第2代校長の三井重雄先生(昭和25年4月~32年3月在任)


・校舎前で優勝の記念撮影

上の写真の旗には,「中巨摩郡代表」との文字が読める。下は陸上競技(駅伝か?)。どちらの写真にも三井校長先生が写っている。

 


・特別教室棟

理科室や音楽室,家庭科室などが入っていた。この後,西側(写真手前側)に増築されることとなる。
下は完成直後の写真(1956年,昭和31年)。三輪のトラックが時代を感じさせる。

 

 

 

・初代二号館建設工事(昭和39年,1964年)

鉄筋コンクリート3階建てで,普通教室12。
平成10(1998)年度の途中まで使用された。


・中庭の少年像
沿革誌によれば,昭和40年3月19日建立である。


・航空写真(昭和44年)
初代校舎は取り壊され,跡地は校庭となっている。特別教室棟が増築され,中央に玄関が付けられ一号館になった。鉄筋校舎は昭和39(1964)年に完成。
 体育館(町民体育館)が翌40(1965)年の5月に完成するなど,急ピッチで教育環境が整えられていった。県道を挟んで右上は敷島町役場庁舎。
校庭南西角のL字の建物は,この年に完成した部室棟。
写真上方,山宮地区の宅地が造成中であることがわかる。片山の採石場から石材が盛んに切り出されていた。

・旧一号館全景
昭和50年代の後半まで使われた。向かって右側が昭和31(1956)年に建てられた部分で,音楽室や理科室,図書室,家庭科室。左側が昭和37(1962)年の増築部分で,職員室や校長室,保健室,美術室の他に普通教室も入っていた。右手前に見えるのはスクールバスの車庫。


・解体される旧一号館
後方に,初代二号館が見える。

・一号館新築工事中
昭和57(1982)年のスナップ。この写真ではわからないが,校庭西側にプレハブ校舎2棟が建てられ,教室と職員室機能が移された。

・航空写真(昭和59年,1984年)
体育館脇はバレーコート。現在は武道館(柔剣道場)が建てられている。さらにその左上に見えるのはプール。共に昭和50(1975)年に完成した。


・平成元(1989)年航空写真
この頃は,各学年260~270名の生徒が在籍し,全校生徒数が800を超えた時もあった。
この前年に,美術科・技術科関係の教室が入る3号館(緑色の屋根)が完成している。

・解体される年の初代二号館

・初代二号館解体工事
平成10(1998)年7月,夏休みに入ると同時に工事が始まった。

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