7月1日(月)管昭彦さんをお迎えしての被爆体験伝承講話

 

◯7月1日(月)管昭彦さんをお迎えしての被爆体験伝承講話

 広島から、被爆体験伝承者の管昭彦(すがあきひこ)さんをお迎えして、今日の6校時に被爆体験伝承講話を実施しました。講師の管昭彦さんは、今年の5月に生命保険会社を定年退職され、被爆体験伝承活動に専念されています。

 〈被爆体験伝承者〉とは、被爆者の高齢化に伴って、被爆体験をお話しされる方が少なくなってきたために、平成24年度から広島市が被爆体験証言者の体験や平和への思いを受け継ぎ、それを伝えるために養成している人たちのことです。

 管さんはご両親が被爆者であったことや、会社員時代に仙台市で東日本大震災に遭い、石巻や気仙沼で目の前に広がる光景が、いつか写真で見た被爆直後の広島の記憶と重なったこととなどから、原爆を語り伝えていくことの大切さにあらためて気付いたそうです。

 そして、被爆体験伝承者の養成研修で、中学時代の恩師である瀬越睦彦先生と45年ぶりに再会したことで、瀬越先生の被爆体験を伝承することが、もはや必然としてしか思えなくなったそうです。

 

「天井が落ち、母は生まれたばかりの弟の上にすぐさま覆いかぶさりました。母親でないとできないことです。」

「原爆が他の爆弾と違うところは、大量の放射線を出して、一瞬のうちに身体中を射抜くことです。染色体を引き裂き、細胞を壊す。細胞がきちんと増えることができなくなる。そのため、何年も経ってから白血病や乳がん、甲状腺がんで亡くなる人もたくさんいました。」

 

 最後に、管さんは次のように話されました。

「私が皆さんにお願いしたいことは、5年、10年後、40年後にぜひ家族と一緒に広島の原爆資料館を見に行ってくださいということです。自分の目で見て、そこで何があったのかを感じてほしい。そのとき何を感じるか、皆さんの感性に期待したいと思っています。瀬越さんは、今年85歳になりますが、今日も静岡で被爆体験者として直接話をしています。私は被爆体験伝承者として、多くの方に広島で起きたことを一生懸命伝えていきたいと思います。」