1月17日(木)今日は、防災・ボランティアの日

今日は1995年に発生した阪神淡路大震災から24年目の日になります。あの日,早朝からテレビに映し出された、神戸の街の様子から受けた衝撃は今でも忘れられません。そして、今日は防災・ボランティアの日でもあります。

以下は本日付の日経新聞に載った、ある文章です。とても心を打つ内容でしたので、紹介します。

平成31年1月17日付け 日本経済新聞より

陸上自衛官の佐々木清和さんは宮城県名取市閖上(ゆりあげ)で、妻りつ子さん、娘で中学2年の和海さん、妻の両親の5人で暮らしていた。東日本大震災は佐々木さんから家族全員を奪った。その朝ささいな夫婦げんかをした。昼休みの仲直りの電話が妻との最後の会話になった。

▼遺体安置所で和海さんと対面したのは、震災から10日後。災害派遣の任務中だ。気丈に振る舞った。その夜ばかりは、ひとりで泣いた。折れそうな心の支えは、職責への自覚と使命感だった。が、62キロあった体重は50キロを切る。酒に頼る日々が続いた。佐々木さんが、「はるかのひまわり」を知るのは震災の2年後だった。

▼「贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」。きのう皇居で開いた歌会始で朗唱された天皇陛下の歌だ。阪神大震災で亡くなった当時小学6年、加藤はるかさんの自宅跡にその夏咲いた「はるかのひまわり」が成長する様を詠まれた。鎮魂と復興のシンボルになった花の種を譲り受け、御所で育ててきた。

▼被災者の傍らに立ち、人々の負った「傷」を回路に社会の融和を祈る。象徴としての30年の歩みを締めくくるにふさわしい一首だ。佐々木さんは津波で流された自宅跡で、はるかのひまわりを育てた。転勤で閖上を離れた今も種をまく。光へ向かって伸びる命の力が生きる支えだという。きょうは阪神大震災の忌日である。

佐々木清和さんの取り組みについては,来年の中学校の道徳の教科書にも載ることになっています。改めて防災と人の命、そしてその命を人々の心へつなげていくことについて考えさせられます。

いずれ来るかもしれない”その日”に向けて、私たちもできるだけの準備をしておくことの大切さも感じました。